法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

作文苦手で…遅筆なんです、すみません

私にとって作文は本当に手間暇かかる作業です。しかし何がどう大変なのかを伝えるのは簡単なことではありません。健康な人とは脳の状態が大きく異なるため、作文の方法論も違えば、苦労するポイントも違うからです。

例えば、今の私の作文手順を書くとしたら、「意識状態を○○にして、書きたいテーマに意識を集中すると△△が降りてくるので、それを□□に持っていくと言葉に変換できて、まずはそれをメモしていって、そのあと何度も何度も読み返して推敲しつつ、さっきの手順を繰り返して適時文章を拡充しつつ、少しずつ少しずつ読みやすい文章、そして分かりやすい文章へと書き換えていく」となるのですが、わからないですよね…。最近はこの手順をある程度端折ることができるので、ますますわかりにくくなっています。

しかし考えてみると、私がまだ健康だった頃の作文の手順も、他の人に伝えるのは簡単なことではなかったかもしれません。「意識状態を●●にして、書きたいテーマを▲▲に持っていくと、全体構造がバーッと浮かんできて、個々の文章もバーッと浮かんでくるので、それを先頭から入力していって、最後に入力ミスをチェックする」って、意味不明ですよね、きっと…

そんな風に考えていると、作文の手順は人によっててんでばらばらで、実は地球上に80億通りくらいあるんじゃないかと思えてきます。作文に限らず、あらゆる作業手順は人によっててんでばらばらで、どの作業手順をとっても地球上に80億通りくらいの方法があるんじゃないかとも思えてきます。人間は一人一人、骨格も筋肉も臓器も脳も状態が異なると思います。最適な作業手順は一人一人違っていたとしてもまったく不思議ありません。作業手順だけでなく、ものの見方や考え方や感じ方がてんでばらばらであったとしてもまったく不思議ありません。

一人一人が何もかもまったく違うとしたら、、作文手順を伝えあったり、理解しあったりすることは、本質的にとても難しいことなのかもしれません。そんなことで苦労してる暇があったら、もっと建設的なことに時間を使うべきじゃないかと思えてきました。「作文苦手で…遅筆なんです、すみません」くらいがちょうどいいのかも(笑)


なお、上記の文章はメールのお返事として下記の文章を書いた後の反省文でもありました。

以前からお話ししているように、私は病気の後遺症で、読み書き、聞き話し、考える能力が普通の人より随分と低いです。何倍、何十倍と低いです。そのため、文章を書くにしても普通の人より随分と長く時間をかける必要があります。頭の中にあることを文章の形にまとめる作業は、私にとって決して楽な作業ではありません。本当に時間がかかります。しかしそれでも、口頭よりも文章の方が遥かに楽です。口頭での会話能力はまだまだ回復が不十分で、簡単な内容の会話しかできませんし、早口の人の話は聞き取れません。あるいは会議に参加しても内容を十分には理解できませんし、事前に準備した発表内容以外は、簡単な発言しかできません。思考能力についても、後遺症のため「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」な状態にあるようで、一定以上の複雑さを持つ内容は、どんなに時間をかけても理解することができません。

社会復帰までまだまだ時間がかかりそうだという根本的な理由は、まさにこの後遺症にあります。社会復帰は一生叶わない夢のまた夢かもしれないと思う理由も、まさにこれです。

そのような状態ですので、何をするにも人様よりゆっくりしかできず、しかもこまめの休憩が必要です。私にとって必要なのは「考える時間」ではなくて、「ゆったりとした作業時間」と「たくさんの休憩時間」です。(実のところ、考える能力が低いので、普段からあまり考えてません)

このような話をすると、健康な人の中には「聞くに耐えないタチの悪い冗談」と思う人が少なくありません。私の話を聞いて怒って怒鳴りだす人もいれば、できないと言っていることを無理やりやらせて懲らしめようとする人もいます。様々な経験を経て、今では世間から引き籠もって静かに暮らしたいと思うようになりました。

世の中にはいろいろな人がいますので、私の話を聞いて☆☆さんがどのような感想を持つかは、☆☆さんの自由です。もしも☆☆さんにとって「聞くに耐えないタチの悪い冗談」にしか聞こえないとしたら、私と距離を置いていただいた方が、お互いにとってよりよい未来につながると思います。