法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「思野」に収まらないことは理解も説明もできない

今朝は調べ物をしてました。とは言え、集中力が足りなくて、簡単な作業を休み休みしただけとなりました。集中力が足りないと感じるのは、疲労などで「思野」が狭くなってるからではないかと思います。(「思野(しや)」は「一度に考えられる範囲」という意味の造語です)

以前「ちょっと複雑になると口頭では説明できなくなる」と書きましたが、これも「思野」に収まらないくらい複雑なことは、どう頑張っても説明できないからだと思います。口頭の場合は相手の反応にも注意しないといけませんし、相手の話も頭に留めおかねばならないので、「思野」に収めるべきことがどうしても多くなってしまいます。そのため、自宅にこもって作文するときよりも説明能力が随分と低くならざるを得ないのではないかと思います。

どうやら「思野」という概念は、私の状況を説明するのにとても便利なようです。