法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

かつて慣れ親しんでいたことのリハビリで精一杯

一昨日書いたことの続きになりますが…

私の脳の中の壊れて使ってはいけない部位は、おそらく脳全体のほんの一部だけなんです。それはとてもありがたいことだと思っています。しかし、その壊れた部位は「思考」においてとても重要な役割を担っている部位のようなのです。そのため、発症直後は何をするのも大変で、何もできないに等しい状態になってしまったのだと思います。

「思考」というのは生活の中のあらゆる場面で登場します。特に慣れないことをするときは、普段以上に「これはどうすればいいのかな、あれは大丈夫かな」などと考える機会が多くなってしまいます。そのため、慣れない作業をした後は、私の脳の中の壊れた部位が過負荷状態になって、数日間へたり込んでしまわねばならなくなるのだと思います。同様に、昨年の大断捨離という一見単純な作業ですら、私の脳の中の壊れた部位に大きな負荷をかけてしまうので、1日あたりの作業時間を随分と短くせざるを得なかったのだと思います。クルマでの遠出が難しいのも、夕方以降は休憩に専念せざるをえないのも、同様の理由によるものだと思います。

そんな状態の中で工夫を重ねてリハビリに成功したのは、まずは読み書きでした。最初は100〜200文字くらいの文章を読む練習、50〜100文字程度の文章を書く練習から始めました。やがて、若干変性意識に入って意識状態を微調整するとなんとかなることがわかりました。そこで、よりよい意識状態の探索と定着を目的としたリハビリを繰り返しました。そして文章の長さを少しずつ長くしていきました。このリハビリを繰り返した結果、今の私があります。これからもリハビリを続けて、読み書きの能力を伸ばしていきたいと思っています。

聞き話す能力については、まだまだ難しいです。話し手や聞き手についつい合わせてしまうので、意識状態のコントロールがまだ上手にできません。相手によってとても楽に会話ができる人もいれば、すぐに疲れる人もいます(あくまで私の脳の壊れた部位との相性によるものです)。楽に会話できるときの意識状態を記憶して定着させて、誰と話すときもそれが再現できるようになると、会話がもっと楽になるのではないかと思っています。しかし、まだ成功していません。

技術的な調べ物、特にプログラミングについては、今年の年初からリハビリを始めました。かつて慣れ親しんでいたことなので、コツさえつかめば思っていたより楽にできるようです。ただし、「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」になっていることがわかりました。一度に考えられる範囲が極端に狭くなっているので、構造設計にしても、作業計画にしても、「思野狭窄」を前提としたものにしないといけません。また、つい昔のように「思考」してしまうクセが残っているので、「思考」しない習慣を身に付けないといけません(壊れて使ってはいけない部位に過負荷をかけないためです)。

そんなこんなで結局、かつて慣れ親しんでいたことのリハビリで精一杯な状況です。こん状況で、この先どんな転がり方をしていくのか楽しみです。