法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

仮説「思野狭窄」

今回の調べ物を始めて2ヶ月余り。これまでの経験から、私自身の状態について次のような仮説を立てています。


(1)私の顕在意識で思考できる範囲はかなり狭い(脳の後遺症のため)。「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」と表現してもよいくらいに狭い。

そのため、ちょっと複雑になった途端に顕在意識の「思野」に収まりきらなくなり、顕在意識ではまったく理解できなくなるのだと思います。(幸い、単純なことなら理解できます)

対策としては、理解対象を細かく分解して、パーツごとに理解しようと思っています。もちろん、パーツ間の関係性も併せて理解しようと思っています(実際には多段階の階層構造として捉えます)。そうやってある程度咀嚼した上で潜在意識に送り込めば、あとは潜在意識が消化して自動的に理解を深めてくれるようです。(そう言う意味では顕在意識は口、潜在意識は内臓かもしれません)


(2)前述の「思野狭窄」のため、ちょっと複雑な内容の記憶については、仮に思い出せたとしても顕在意識は理解も把握もできない。

このところ、顕在意識ではどうすればよいかさっぱりわからないような場合でも、適当に作業を始めると不思議と作業が進んで、あれよあれよと言うまに作業できてしまうことが頻繁に起きています。

おそらくですが、潜在意識のレベルではちゃんと思い出しているのではないかと思います。ところが顕在意識は「思野狭窄」のため、理解も把握もできないでいるのではないかと思います。

幸い、作業に打ち込んでいるときは、その瞬間瞬間の作業にだけ集中すればよいので(ひとつひとつの作業はあまり複雑ではないので)、「思野狭窄」な私でもなんとか理解できるのではないかと思います。ところが作業を終えて全体を見渡そうとした途端に顕在意識の「思野」をはるかに超えてしまって、どうやって作業したのか自分でも理解できないのではないかと思います。

若干不思議ではありますが、そんな状態にあるのではないかと思っています。


(3)日常生活でも、潜在意識でわかっていても、顕在意識ではわからないことがいっぱいあるのではないか。

たとえば文章を書くにしても、指にまかせて書いていると、自分でも思いもしない文章が現れることがよくあります。

あるいは、会議に参加しても十分には聞き取れないことが多いですが、なぜだか後で結構思い出せます(とは言え、後の疲労が大きいのであまり参加したくないですが…)。作品展に行っても見たものをすぐに忘れてしまいますが、感想文を書こうとするとなぜだかいろいろ思い出せます。また、ちょっと調べてまとめを書こうと思ったとき、いろいろと見て回った中から必要な情報をスルスル思い出せます。しかしいずれの場合も、意識を向けたことをピンポイントで思い出したり、そこから芋づる式に思い出したりできるだけで、全体をまとめて思い出すことはできません。

やはり「思野」が極端に狭いからこその現象が起きているのではないかと思います。


(4)顕在意識は受動的観察者でいることが一番よいのかもしれない。

顕在意識の思考能力は「思野狭窄」と言ってもよいレベルなので、顕在意識は極力休めて、できるだけ潜在意識にまかせた方が、効率よくしかも確実に頭脳作業ができるのではないかと思っています。その方向でリハビリを進めたいと思っています。

その際、「顕在意識は口、潜在意識は内臓」という譬えはとても分かりやすいように思います。顕在意識を極力休めると言っても、情報や体験を取り込む瞬間だけは顕在意識できちんと咀嚼しないといけないように思います。咀嚼が済めば顕在意識は休めていても大丈夫なようです。

また、潜在意識の中では様々なものごとがうごめいているので、つながる先を間違えないように注意が必要です。安全・安心のためには、顕在意識の意識状態を安寧に保つ必要があるのではないかと思っています。


以上、今日の時点での仮説でした。

経験的に、疲労度や体調、気象条件などによって「思野」は広くなったり狭くなったりするようです。そのため日によって、さらには時間帯によって「思野」の広さが変わり、できる事できない事も変わります。健康状態に気を付けて、暖かくすごすことが重要なようです。