法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

久しぶりに長めの作文です

今日も「昔取った杵柄」くんの遠縁あたりの作業をしました。

技術系の作業をしたあとは、作文の気力がほとんど湧いてきません。それぞれの作業で必要な意識状態が大きく異なるからかもしれません。

私は後遺症のため「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」な状態にあります。一度に思考できる範囲がとても狭いです。そのため、技術的な内容を理解しようと思ったら、理解しやすいように細かく砕いて、まずそのひとつひとつを理解して、最後に全体像を理解するという手順を踏まねばなりません。ちょっと手間がかかります。

同様に、プログラムの構造を設計しようと思ったら、理解できるまで細かく砕いて、破片状の小さなパーツを設計するところから始まります。破片の設計ができたら、それを組み合わせて、さらに組み合わせて、と雪だるま式に少しずつ大きくしています。やっぱり、ちょっと手間がかかります。

それでも破綻せずに作業できているのは、潜在意識のどこかに潜んでいる「昔取った杵柄」くんが、顕在意識の知らないところでしっかり理解したり、しっかり設計したりしているからではないかと思っています。

顕在意識は、知らず知らずのうちに「昔取った杵柄」くんからの指示を受け取りながら、目の前の作業を懸命にこなしているのではないかと思います。そうやってなんとか作業を前に進めているのではないかと思います。

変性意識に入ると、潜在意識の「昔取った杵柄」くんとのパイプが太くなるように思います。顕在意識の実力を遥かに超えた思考ができるようになるからです。ただし、意識状態の大きな変化を伴うので、日常生活をつつがなく行うためには、時々こちらの世界に帰って来ないといけません。気分的には、潜っては浮かび、潜っては浮かびしながら作業しているような感じです。

実は作文も似たようなところがあります。顕在意識の普段の意識状態では作文はなかなか進みません。変性意識状態に入る必要があります。おそらく、技術的な作業をするときとは別のところにつながるのではないかと思います。言葉の上では同じ「変性意識状態」とは言え、作業時の意識状態は大きく異なっているように思います。

技術的な作業と作文では、変性意識状態でつながるところが異なるので、切り替えが難しいのではないかと思います。今日は夕方から少し事務作業をしていたので、作文の意識状態に入りやすかったようです。おかげで、久しぶりに長めの作文を書くことができました。