法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

いつも通りに

大切なものを失ったり手放したりという体験をされた方々は世間にはたくさんいらっしゃることと思います。滅多に口にはしないだけで胸の内には様々な思いを抱えておられる。そんな方々の方が多いやもしれません。否、ほとんどの方がそうかもしれません。そんな人たちどうしだからこそ分かりあえる。何も言わないからこそ分かりあえる。そんな時間もあるのかもしれません。明るさの中に陰があり、陰の中に希望がある。それを無意識のうちに感じあい、無意識のうちに響きあう。そんなひとときもあるのかもしれません。

10年余り前のこと。何かのワークショップで「余命○ヶ月と宣告されたら何をしますか?」と聞かれたことがあります。「この程度の病気を治せないような藪医者のところには二度と行かない!」なんて答えるのは設問の趣旨から外れるので置いといて…、そのとき私はこんな風に答えたと記憶しています。

「いつも通りに暮らすと思います」

もうすぐ死ぬからといって特別なことをするでもなく、ただ普通に暮らす。普通に仕事を続ける。もちろん死期が迫っているのでそれなりの準備は必要ですが、特別にあちこち行ったり、人に会いに行ったりはしない。ただ普通に暮らす。普通に死ぬ準備をして、普通に引き継ぎをして、普通に送別会をして、普通に死んでいく。私にはそれが一番幸せだと思えたのです。おそらく今も同じように答えると思います。

なぜそんな風に答えたのかというと、きっといつもの暮らしが一番幸せだと思えたからです。そして今もそう思っているからです。もちろん、短くない人生の中で、辛いこと、苦しいことはあったと思います。でもそういった艱難辛苦込みで、重い重い心の苦しみも込みで、ジェットコースターの山も谷も込みで、この人生が一番幸せだと思うからです。

そんな風に思えるのは、この人生で滅茶苦茶なことをして、無茶苦茶な体験もして、凪も嵐も味わって、「あ〜この地球をたっぷり楽しめた」と思っているからかもしれません。あるいはひょっとしたら「あ〜ごめんなさい、おとなしく消えていきます…」と思っているからかもしれません(笑)

瞬間瞬間に満足できていると、いつ何があっても平気でいられると思うのです。それどころか、一見とんでもないことが起きたとしても、新しい展開を楽しんでしまうと思うのです。傍から見て天国に見えようが地獄に見えようが関係なく、まるで赤ん坊のようにニコニコしながら近付いて、何が起きてもパクッと口に入れてしまう。そんな人生を送りたいなと思っています。


片付けでも同様に、瞬間瞬間の満足を大切にしたいと思っています。だから無理矢理に手放すようなことはしたくありません。心の底から手放す気持ちになるのを待って、それからポイと捨てる。寂しくとも後悔はない。そんな捨て方をしていきたいと思っています。そんな風にものを捨てていく過程を「心の旅」と呼んでいます。今はそれを楽しんでいます。

この夏、あちこちで街歩きをしました。街歩きをしながら、見るとはなしに街の様子、家々の様子を眺めていると、いろんな人生が目に飛び込んで来ます。特に大阪の街を歩いたときには多彩な人生を拝見することができました。たくさんの街歩きのお蔭で、心の中のもつれた糸を少しずつ解きほぐすことができて、ものを少しずつ手放していくことができました。私にとっては街歩きなくしては「心の旅」=ものを捨てていく旅はありえませんでした。

片付けのお蔭で、今年は本当にとてもよい体験をさせてもらっています。