ひふみ祝詞という有名な祝詞があります。有名な祝詞でありながら日本語として解釈することが大変難しいため、これまでたくさんの方々が様々な解釈を試みてこられたようです。
正直申しますと私も意味はわかりません。ただ最近、ひふみ祝詞は意味がわからないところが重要なのではないかと思うようになりました。意味がまったくわからない祝詞を繰り返し唱えていると、頭の中から通常の思考(もしくは雑念)がいつの間にか消えてしまうように思います。そのような状態になることがこの祝詞の一番の効果ではないかと思うようになりました。
これは天の数歌(あまのかずうた)でも同様ではないかと思います。
また、お念仏「南無阿弥陀仏」やお題目「南無妙法蓮華経」も繰り返し唱えていると、本来の意味がわからなくなって、頭の中から思考が消えてしまうように思います。そのような状態になることが重要なのではないかと思います。もしかしたらお経も同じような効果があるのかもしれません。
ひふみ祝詞
ひふみよいむなや こともちろらね
しきるゆゐつわぬ そをたはくめか
うおゑにさりへて のますあせえほ れけ
天の数歌
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり
もも ち よろづ