法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

執着と体験

子どもの頃は「舞台や配役が違うだけで状況はほぼ一緒だなぁ」と思うことがよくあったように思います。大人になってからは過去の思い出と比較しなくなったのか、そんな風に思うことはほとんどありません。

その代わり最近は、外的状況は全然違っていても、内面的状況としては同じようなことが繰り返されているなぁと思うことがよくあります。おそらく私が執着に気付いて手放していけるようにと、少しずつ角度を変えながら様々な状況を体験させてもらっているのではないかと思います。

例えば私が今の健康状態にあるのは、私が抱えている大きな執着に気付いて手放していけるように設定された状況ではないかと思っています。ですから必要な気付きが得られれば、やがて場面転換して全く別の苦悩を抱えることになるのではないかと思います。

場面転換するときは、思いもしなかった状況にゴロゴロと音を立てて転がっていくことがよくあります。そういうときは、不思議なくらいに見事に居場所が用意されていて、あれよあれよと言う間に転がってそこにスポッとハマって、その瞬間から全体状況の一部となって活動せざるを得なくなっているように思います。具体的な状況は毎回まったく違っていても、不思議なくらいに見事にアレンジされた指定席が毎回毎回用意されているように思います。

ですからいつも、与えられた指定席を生きることにしています。ちょっと(かなり)大変な事態に陥ることもよくありますが、それもその指定席ならではの醍醐味なんだろうと思って楽しむことにしています。世間の常識とはちょっと異なる生き方をしているからこそ楽しめてるのかもしれませんが…

私がもっと素直であれば、周りの方々のお手を煩わせることなく執着を次々と手放していけるのでしょうが…、どうも私は執着にしがみついて放さないタイプのようでして、正直なところ沢山の方々を巻き込んでご迷惑をおかけすることしかできておりません…。誠に申し訳ありません。