法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

能力と評価

日本では肩書きで仕事をする人が多い理由のひとつは、日本には他人の能力をきちんと評価できる人が少なくて、どうしても肩書や経歴で人物評価をされてしまうことが多いからではないかと思います。

ですから、自分の能力を活かして生きていこうと思ったら、以下を並行して行う必要があるのではないかと思います。

(1)自分のモノサシを磨き、そのモノサシに合わせて自分の能力を磨く。
(2)同じモノサシを持つ人たちと信頼関係を築き、経験と実績を積み重ねる。
(3)異なるモノサシを持つ人からも一目置かれる実績を少しずつ積む。

上記のうち、(1)だけでは能力を正しく評価してもらえず安く買い叩かれる可能性があると思います。(1)と(2)だけでは変わり者として世間の隅っこで生きていくことになるかもしれません。3つ揃ってはじめて、社会で普通に堂々と生きていけるのではないかと思います。

同じ業界でもモノサシ(評価判断基準)が全然違うのはよくあることだと思います。仕事仲間の選び方で仕事のしやすさも仲間からの評価も全然違ってくると思います。同じモノサシを持つ仲間と力を合わせれば、異なるモノサシを持つ人たちからも一目置いてもらえる実績を少しずつ作っていけると思います。同じモノサシを持つ能力の高い仕事仲間がたくさんいる人、すなわち所属企業が看板社員にしたくなる人になってしまえば、名刺の持つ意味はまったく違ってくると思います。


日本では人物評価に限らず、商品評価をきちんとできる人も少ないように思います。

例えば、手塩にかけて開発した商品サンプルを日本企業に託しても歯牙にも掛けてもらえないことはよくある話だそうですが、実績一覧に有名企業が並んでいるだけで前向きに検討してもらえるようになることもよくある話だそうです。そのため、商品を開発したら評価能力の高い欧米企業にまず売り込んで、欧米で実績を作り経験を積んでから日本企業に売り込む、という作戦を取る日本企業は多いのではないかと思います。

日本人は、お墨付き(肩書や認定など)、勢い(威勢や羽振り)、見栄え(パッケージなど)、シガラミ(コネと人情)などをとても重要視するように思います。品質はある一定レベルさえ満たしていればよく、それ以上に詳しく評価できる人は少数派なのではないかと思います。もしかしたら中身を評価してはいけないと思っているのかもしれません。

日本では、品質をきちんと評価して適正なお金を払ってくださるお客様や投資家との出会いはとても貴重だと思います。このような傾向が変わらない限り、肩書きで仕事をせざるを得ない人は後を絶たないのではないかと思います。

(…以上、私は能力が低い人なのでかなり想像が入ってますが…)