法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

漸悟、頓悟

例えば、整体で脊椎(背骨)の矯正をするにしても、矯正がほとんど不要な方がいらっしゃる一方で、矯正すべき箇所がたくさんある方もいらっしゃるのではないかと思います。(ちなみに脊椎は頸椎7個、胸椎12個、腰椎5個など30個余りの椎骨からなり、それぞれが異なる役割を持っているそうで、意外と複雑な器官のようです)

同様に、改心するにしても、改心がほとんど不要な方がいらっしゃる一方で、改心すべき心の癖が星の数ほどある方もいらっしゃるかもしれません。(かく言う私などは星の数よりも遙かに多そうです…)

ですから、改心しても改心しても次から次へと問題が表れてくるとしたら、それはもう当たり前のこととして開き直るしかないと思います。人の心はあまりに広大で深遠なので、一つ一つ丁寧に改心を続ける限りは、仕方のないことなんだろうと思います。(と、自己弁護…笑)

ここまで書いふと思ったのですが、禅でいうところの『漸悟』と『頓悟』は方法論がまったく異なっているのかもしれません。漸悟は人智によって悟りを目指すのに対して、頓悟は人智から離れることで悟りを得ているのかもしれません。

例えば身体の場合は活元運動におませかしておくと、手荒で緻密な整体師に掛かっているかのように身体が勝手に激しく動いて、気がつけばスッキリしていることがよくあります。同様に心にも活元運動と呼ぶべき働きが備わっていて、その働きにおまかせしておけば、しばらく心が激しく揺さぶられるものの、気がつけばスッキリ改心できているのかもしれません。もしかしたらお念仏の妙好人はそうやって生まれてくるのかもしれません。そんな風に人智に頼らず、身体や潜在意識の働きにおまかせするのが、頓悟の世界であり、他力の世界なのかもしれません。

そしてもしかしたら、漸悟は悟りの完成が近い人のための方法論であり、頓悟は悟りへの道を歩み始めたばかりの人のための方法論なのかもしれません。

そんなことを思いました。