法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

もしもトランプ「大富豪」の「革命」がこの世で起きたなら…

(1)安売り

久しぶりに通信販売を利用しました。購入額が一定金額以上になると送料無料とのことだったので、購入予定だったものをまとめて注文しました。

しかし考えてみると、私の財布が助かった代わりに、他の誰かの財布が泣いているかもしれません。例えば通販業者の倉庫担当者や宅配業者の運転手から見ると、時給が低く抑えられたり、厳しい時間管理をされたりする原因のひとつとなっているかもしれません。あるいは製造業者から見ると、度を過ぎた価格競争や送料分担は疲弊の大きな原因となっているかもしれません。

その一方で、通販の経営者や投資家は薄利多売でホクホク顔になっているかもしれません。

私たち庶民は、大富豪の資産を増やすために、お互いの足を引っ張りあいながら生きているのかもしれません。


(2)革命

トランプを使った人気ゲームに「大富豪」があります。手持ちのカードを順に場に出していって、手札が最初に無くなった人が勝ち、というゲームです。

「大富豪」では、同じ数字のカードを4枚出すと「革命」が起きて、数字の強さが逆転します。その瞬間から、強いカードばかり揃えていた人は弱いカードばかりとなり、弱いカードしか持ってなかった人は、強いカードばかりとなります。

貧富の差が大きくなった現代社会でも、このような「革命」が必要なのかもしれません。

お金が強大な力を持つ世界から、お金が単なる道具にすぎない世界へ。その代わりに、お金では買えないものが大きな価値を持つ世界へ… そんな風に人々の価値観に「大革命」が起きたとしたら、大富豪も庶民も手を取り合って暮らせるようになるかもしれません。


(3)パラダイムシフト

もちろん「大革命」が起きるのを待つ必要はありません。今すぐ自分から始めればよいのです。本当にすばらしいことであれば、共感する人がたくさん現れると思います。そして日本中へ、そして世界中へ、じわじわと広がっていくことと思います。

大きな大きなパラダイム転換が起きるとすると、、アニメ『未来少年コナン』で喩えるなら、インダストリアからハイハーバーへの大転換かもしれません。ウラジーミル・メグレ(著)「アナスタシア」シリーズで喩えるなら、一族の土地への入植かもしれません。現代風に表現すれば、東京一極集中から農林漁村への分散かもしれませんし、都会でのエディブル・ガーデンの普及かもしれません。その流れで考えると、庶民の暮らしを支えるためにベーシック・インカム(定期定額給付)を導入するよりも、自給のための農地を無償貸与をした方が、現実的かもしれません。

もしも暮らしの中でお金が必要となる機会がぐんと減って、お金に縛られることがなくなれば、、庶民の暮らしはぐんと楽になって、大富豪であることの特典もぐんと減るのではないかと思います。そして、暮らしの多様性を残したまま、格差が実質的に是正されるのではないかと思います。ひょっとしたら、庶民の暮らしの方が気楽で好まれるかもしれません。そのくらいの「大革命」が必要ではないかと思います。

弱者は弱者とともに

(1)強きに阿り弱きを挫く

昨春からの COVID-19 対策を思い出してみると、学校、観光、興行、娯楽、飲食、買物、帰省、在宅勤務など、社会的な立場の弱い人たちをターゲットにしたものが多かったように思います。それに対して権力者に近い事業者は、様々な形で露骨に恩恵を受けていたように思います。政官財に近いほどマイナス面が少なく、逆にプラス面が大きかったところも多々見られたように思います。

本来であれば、感染症の性質を正確に把握した上で、適切な対策を取っていくべきだと思います。性質が十分にわかるまでは、できる限りの知見を集めて、それぞれの時点でのベストを選択すべきだと思います。

ところが、きちんとした調査が行われることはなく、机上の空論に基づく見込み捜査ばかり行われていたように思います。そして憶測と噂話で物事が進められていたように思います。そればかりか、弱者を「公開処刑」することで人々の鬱憤の解消を図ったり、強者を露骨に優遇することで利権を温存することが「対策」として取られてきたように思います。いずれも、感染症の鎮静化を目的とした対策ではなく、アリバイ作りと責任転嫁と利権維持を目的とした対策だったのではないかと思います。

近現代史を思い出してみると、この国では弱者をくじき強者におもねることが本音の「美徳」とされているのかもしれません。そのような生き方を選ばないと、この国で無難に生きていくことは難しいのかもしれません。そればかりか、そのような政策を推進する人が高い支持率を得るようにも思います。その伝統を変えることは一人の力では難しく、抵抗した人は社会から排除されてしまうのかもしれません。いつの日かそれを変えることができれば…と思います。


(2)エチケット

ところで、COVID-19 に対する評価は人によって大きく異なるようです。

私は COVID-19 は少なくとも日本では国を挙げて恐れるほどの感染症ではないと思っています。公式統計を見る限り、感染症としては弱毒性に分類できるように思います。行政による COVID-19 関連の規制はすべて撤廃すればよいと思ってます。

ただし、基礎疾患がある人を中心に重症化する場合があるので、個人的に対策が必要と感じる人が対策する形がよいと思います。事業者による対策も同様です。これはインフルエンザや肺炎などと同様の考え方です(どんな病気でも軽症で終わる人もいれば重症になる人もいるのと同じです)。

しかし現時点では、このような見方は少数派かもしれません。そこで私は、マスク着用が求められるところでは着用しますし、手指の消毒が強く求められるところでは消毒します。そして、滞在時間をできるだけ短くしています。そのような場には、本心から恐怖を感じている人がいるかもしれないからです。

TPO に合わせるのは、私の考え方を押し付けるのはエチケット違反だと思うからでもあります。念の為、カバンの中には使い古しのマスクを入れてます。おそらく雑菌だらけなので、私自身の免疫力を高めることにつながっているのではないかと思います(笑)


(3)マスク

私は肺の空気交換能力が低いこともあって、マスクは滅多につけません。

昨年3月頃に何日間か熱はないのに全身がだるい日々が続いて、時々数十秒間呼吸ができなくなるという症状を経験しました。それ以来、肺のガス交換能力が目に見えて落ちました。例えば、マスクなしでも坂道を上るのがちょっとつらくなりましたし、マスクを着用したまま読書すると酸素不足に陥ってしまうようにもなりました。いずれも、筋肉や脳が必要とする酸素を肺が十分に取り込めないからだと思います。そのため、マスク着用が求められる場面でしかマスクをつけないようにしています。

現状では、万一、肺炎にかかるとガス交換能力不足で闘病に耐えられないかもしれないので、COVID-19 の患者さんの前ではマスクをつけることと思います。失礼に見えたら申し訳ありません。

緊急事態の常態化

原子力緊急事態宣言は3.11から10年以上続き、新型インフルエンザ等緊急事態宣言は昨年より間欠的に発せられ、2つの緊急事態が常態化してます。時が経てば経つほど、人によって緊張感の温度差が大きくなっているように思います。

政府の言動がチグハグなのは、法律に内在する建前のモノサシと、政治家や官僚が堅持する本音のモノサシが、大きく乖離していることを意味しているのではないかと思います。私たち一人一人が持つモノサシも、人によって大きく異なっているように思います。

本来なら、モノサシのあるべき姿をみんなで話し合おうという機運が高まってもよさそうですが、どうも「私たちは何でも分かってるけど、あなたたちは何にも分かってない」という発想からの声が大きいように思います。すなわち、「何が正しいか」ではなく、「誰がエライか・正しいか」という視点から発言する傾向にあるのではないかと思います。例えば「ご理解ください」とかそうですよね。

こうなったら、人力で解決するのを諦めて、時間が解決してくれるのを待つしかないのかもしれません… 災害対策を含めて、あちこちで同様の傾向が見られるように思います。

賢者と愚者

(1)開放的 対 閉鎖的

思い出してみると、世の中から賞賛されるような優れた成果を出す人は、気さくで明るくて親しみやすい人が多いように思います。逆に、傲慢で内弁慶で排他的な人は、「張り子の虎」に上手に取り入って「虎の威を借る狐」になるのが精一杯のように思います。

言い換えると、開放的な人たちは正のスパイラルを生み出して、優れた成果を出しながら世の中にすばらしい影響を与えているように思います。逆に、閉鎖的な人たちは負のスパイラルを生み出して、他人を踏み台にしながら世の中に暗い影を落としてばかりのように思います。


(2)賢者と愚者

今日、このような言葉を見かけました。

賢者は万物・万人から学び、
普通の人は経験から学び、
愚者は全知全能だと自惚れる。

賢者は開放的で、愚者は閉鎖的だと解釈できるので、結果の違いは明らかだと思います。

実際に見かけたのは下記の英文です。(ソクラテスの言葉の英訳と言われているそうですが、真偽は不明です。)

Smart people learn from everything and everyone,
Average people from their experiences,
Stupid people already have all the answers.

ピンチはチャンス、いつもチャンス

ピンチはチャンスという言葉を時々聞きます。ピンチは大変革のチャンスという意味ではないかと思います。逆に絶好調のときは大成長のチャンスかもしれませんし、通常時は足場固めのチャンスと言えるかもしれません。大変革も大成長も足場固めもいずれも重要なことだと思います。

しかし、「あああって欲しい」「こうあって欲しい」という気持ち(執着)が強いと、せっかくの機会を活かせないどころか、冷静さを失って失敗を重ねてしまうかもしれません。

人間は魔法使いではないので、希望通りに物事が進むとは限りません。心を柔軟にして、何があっても大丈夫、どんなときでも道はある、という気持ちでいることが大切ではないかと思います。

細分化から統合化への大変革

(1)専門家の活躍

世の中には様々な分野があって、数多の専門家が、多額の予算を使って、多種多様な研究開発を行っています。そして様々な成果を生み出しています。

例えば、、医療の専門家は、病気を予防したり治療したりするために、様々な医薬品や医療機器を作ってきました。土木の専門家は、大地を掘削したり造成したりするために、様々な土木機械を作ってきました。軍事の専門家は、標的を破壊したり殺傷したりするために、様々な兵器を作ってきました。ひとつひとつを数え上げたら切りがありません。


(2)負の側面

しかし冷静になって考えてみると、本当の意味で世の中を平和にしたり人々を幸せにしたりすることに役立っているものは、どのくらいあるでしょうか?

例えば、、土木の専門家が活躍すればするほど、土木工事が増えて自然破壊が進みました。医療の専門家が活躍すればするほど、医療費が増大して通院者・入院者が増えました。軍事の専門家が活躍すればするほど、軍事費が増大して悲惨な紛争が増えました。ひとつひとつを数え上げていたら切りがありません。

専門家の活躍は業界の活況にはつながっても、世界の平和や人々の幸福にはつながっていないのかもしれません。もしかしたら様々なPRを通して印象操作されているだけかもしれません。


(3)専門家の功罪

私は現代社会の生活に毒されているので冷静にはなりきれませんが、大自然とともに生きている人たちから見れば、世の中の専門家の活動の中で本当に役立っているのは全体のほんの一部かもしれません。もしも歴史上の聖人が現代に生きていたとしたら、同様の評価をするのではないかと思います。

たくさんの専門家の活躍のお蔭で、百年前、千年前には夢物語だったことが、現代では簡単にできるようになったことはたくさんあります。とてもありがたいことだと思います。その一方で、欲望や恐怖を増大させたり、見識を誤らせたりする原因となっていることも、たくさんあるように思います。

はたして専門家の成果は中立(ニュートラル)で、活用方法を間違えているだけなのでしょうか。それとも、現代社会の基盤となる哲学思想が大きな問題を抱えていて、必然的に専門家の視点が歪まざるを得なくなっているのでしょうか…


(4)大変革期

近代以降、世の中は大きく変わりました。現代人のモノサシで見れば大成功であり、さらなる発展が望まれているのではないかと思います。しかし古代から伝わる叡智に照らし合わせて見ると、まったく違う風に見えるのではないかと思います。

失礼ながら、現代の専門家が理解しているのは、この世の法則のうちのほんの一部だと思います。百年後の未来から見ると間違いだらけ、千年後の未来から見ると迷信だらけに見えることと思います。

したがって、現代文明がこのまま我が物顔で地球上を暴れ回ると、遠からず自業自得に陥るのではないかと思います。喩えるなら、大自然からしっぺ返しを食うのではないかと思います。そして方向転換せざるを得なくなるのではないかと思います。

もしかしたら、現代社会のあり方は、喩えるならサナギ(現在)のようなもので、幼虫(過去)から成虫(未来)へと形を変えていくための過渡期の姿なのかもしれません。はたして私たちは美しい成虫へと変態できるのか…、それともサナギ状態のまま自滅してしまうのか…

美しい成虫になるためには、現代社会のパラダイムの大転換が必要ではないかと思います。今は、未来に向けた歴史的な大変革期にあるのかしれません。

上り調子のときは控え目が肝心

(1)調子の波

思い出してみると、発症後しばらくは、梅雨明けから晩秋頃までが活動期で、晩秋頃から梅雨までが休眠期と、くっきりと調子に差がありました。お蔭様で最近は、活動期と休眠期の境目が曖昧になるとともに、休眠期でもできることが増えています。しかし今もって、雨の季節は調子の波が大きいです。

これは推測ですが、温かくなって体調が上がるのが嬉しくて、ついつい限界値以上に活動してしまうのかもしれません。また、雨の季節は日によって気温が変動するので、その時々の限界値を見誤りやすいのかもしれません。そのため、うっかりして疲れをためてしまいやすいのかもしれません。

さらに、季節とは関わりなく、疲れがたまってくると自分の限界値がわからなくなって、ついつい無理してしまうことがよくあります。言うなれば、疲れが疲れを呼ぶ状態になってしまいます。そのため、気がつくと全身が疲労でいっぱいになっていることがよくあるのかもしれません。


(2)季節変動

例年、冬の寒い時期には、決して無理せず、十分な休憩を取りながら活動しています。そのため冬季は低空飛行ながら調子は安定しています。

春から夏にかけての季節は、調子に波があるため、活動的な日々もあれば、休んでいる日々もあります。

夏は一番調子がよくて、一番無理がききます。汗がダラダラ流れ出る季節が一番気持ちがよいです。ただし暑すぎて頭脳作業には向きません。

秋から冬にかけては不思議と調子が安定しています。そのため、いろいろなことができます。その時々の限界値を読みやすいのかもしれません。

こうやって思い出してみると、どうやら春から夏にかけての体調の上り調子のときが一番苦手なようです。この季節は控え目を心がけた方がよさそうです。