法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

弱者は弱者とともに

(1)強きに阿り弱きを挫く

昨春からの COVID-19 対策を思い出してみると、学校、観光、興行、娯楽、飲食、買物、帰省、在宅勤務など、社会的な立場の弱い人たちをターゲットにしたものが多かったように思います。それに対して権力者に近い事業者は、様々な形で露骨に恩恵を受けていたように思います。政官財に近いほどマイナス面が少なく、逆にプラス面が大きかったところも多々見られたように思います。

本来であれば、感染症の性質を正確に把握した上で、適切な対策を取っていくべきだと思います。性質が十分にわかるまでは、できる限りの知見を集めて、それぞれの時点でのベストを選択すべきだと思います。

ところが、きちんとした調査が行われることはなく、机上の空論に基づく見込み捜査ばかり行われていたように思います。そして憶測と噂話で物事が進められていたように思います。そればかりか、弱者を「公開処刑」することで人々の鬱憤の解消を図ったり、強者を露骨に優遇することで利権を温存することが「対策」として取られてきたように思います。いずれも、感染症の鎮静化を目的とした対策ではなく、アリバイ作りと責任転嫁と利権維持を目的とした対策だったのではないかと思います。

近現代史を思い出してみると、この国では弱者をくじき強者におもねることが本音の「美徳」とされているのかもしれません。そのような生き方を選ばないと、この国で無難に生きていくことは難しいのかもしれません。そればかりか、そのような政策を推進する人が高い支持率を得るようにも思います。その伝統を変えることは一人の力では難しく、抵抗した人は社会から排除されてしまうのかもしれません。いつの日かそれを変えることができれば…と思います。


(2)エチケット

ところで、COVID-19 に対する評価は人によって大きく異なるようです。

私は COVID-19 は少なくとも日本では国を挙げて恐れるほどの感染症ではないと思っています。公式統計を見る限り、感染症としては弱毒性に分類できるように思います。行政による COVID-19 関連の規制はすべて撤廃すればよいと思ってます。

ただし、基礎疾患がある人を中心に重症化する場合があるので、個人的に対策が必要と感じる人が対策する形がよいと思います。事業者による対策も同様です。これはインフルエンザや肺炎などと同様の考え方です(どんな病気でも軽症で終わる人もいれば重症になる人もいるのと同じです)。

しかし現時点では、このような見方は少数派かもしれません。そこで私は、マスク着用が求められるところでは着用しますし、手指の消毒が強く求められるところでは消毒します。そして、滞在時間をできるだけ短くしています。そのような場には、本心から恐怖を感じている人がいるかもしれないからです。

TPO に合わせるのは、私の考え方を押し付けるのはエチケット違反だと思うからでもあります。念の為、カバンの中には使い古しのマスクを入れてます。おそらく雑菌だらけなので、私自身の免疫力を高めることにつながっているのではないかと思います(笑)


(3)マスク

私は肺の空気交換能力が低いこともあって、マスクは滅多につけません。

昨年3月頃に何日間か熱はないのに全身がだるい日々が続いて、時々数十秒間呼吸ができなくなるという症状を経験しました。それ以来、肺のガス交換能力が目に見えて落ちました。例えば、マスクなしでも坂道を上るのがちょっとつらくなりましたし、マスクを着用したまま読書すると酸素不足に陥ってしまうようにもなりました。いずれも、筋肉や脳が必要とする酸素を肺が十分に取り込めないからだと思います。そのため、マスク着用が求められる場面でしかマスクをつけないようにしています。

現状では、万一、肺炎にかかるとガス交換能力不足で闘病に耐えられないかもしれないので、COVID-19 の患者さんの前ではマスクをつけることと思います。失礼に見えたら申し訳ありません。