(1)信念世界
「○○とは△△なものだ」「きっと□□にちがいない」
そういった強い思い込みが「信念世界」を作ります。
そして、「信念世界」が攻撃されたと感じると「怒り」の感情が発生します。「信念世界」が内部崩壊しそうになると「不安」の感情が発生します。それが強くなると「恐れ」、さらに強くなると「恐怖」となります。「信念世界」を無理矢理実現するために「貪り」の感情が発生することがあります。「信念世界」が崩壊すると「悲しみ」を感じたり、「虚しさ」を感じたりします。
「信念世界」を自分と一体化して考える人は多いのではないかと思います。例えば、「自信」は「信念世界」の頑丈さを表す言葉ではないかと思います。「自信を持つ」という言葉は、「信念世界」が内部崩壊することはないと強く信じるという意味ではないかと思います。「頑張る」という言葉は、「信念世界」の現実化に向けて努力することを意味しているのではないかと思います。
本来は自分自身とは別物である「信念世界」を、自分自身だと誤解することで、様々な苦しみが発生しているのではないかと思います。
(2)怒りの感情
前述のように、「信念世界」が攻撃されたと感じると、怒りの感情が発生します。そのとき、相手に対して自分自身のマイナス・イメージを被せます。その結果、相手の中に自分の嫌いなところを見るようになります。
相手の中に自分の嫌いなところを見ると、改めて「怒り」の感情が発生します。そこでさらに、相手に対して自分自身のマイナス・イメージを被せます。その結果、相手の中に自分の嫌いなところをさらに見るようになるので、「怒り」の感情がさらに発生します。こうして「怒り」の感情は増幅されていきます。
(3)信念世界の継承
増幅された「怒り」の感情は、様々な形で相手にぶつけることになります。例えば、イライラの感情を投げつけたり、「怒り」の感情を態度や言葉で表明したりします。
ここで相手との上下関係が効いてきます。格下はすぐさま格上に謝罪して言動を改めます。万一逆らうと、ますます怒りを買って、さらにマイナス・イメージを被せられて大変な目にあうことがわかっているからではないかと思います。
双方とも「自分が格上だ」と思っていれば、どちらが格上かを争うことになります。すぐに決着がつくこともあれば、争いが長引くこともあると思います。
いずれにしても、格上の「信念世界」が格下の人たちに継承されます。その際、格上の人たちの「信念世界」は格下の人たちの「信念世界」の一部に組み込まれることが多いようです。そのため同じ仕組みが働いて、格下からさらに格下へと順次継承されていきます。
(4)活用方法
このように、「怒り」の感情は自分より格下の人たちの言動を変えたり、「信念世界」を変えたりするための便利な道具となっているように思います。
はたして、これは「怒り」の感情の幸せな使い方なのか、それとも不幸せな使い方なのか…