法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

手間暇をかけるからこそ見えてくるもの

(1)作業効率

今日も「昔取った杵柄」くんの遠縁あたりの作業をしました。

プログラミングのリハビリを続けているお蔭で、とりあえずなんとかプログラムを書くことができるところまでは回復しています。しかし言うまでもなく、発症前と比べるとまだまだ桁違いに作業効率が低い状態です。

一番の理由は、後遺症のため「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」の状態にあるからです。一度に考えられる範囲がとても狭いので、作業対象を細かく分割して、今の私でも理解できる小さなパーツを作っていって、それを組み合わせて少し大きなパーツにして、さらに組み合わせてもう少し大きなパーツにして…、それを繰り返すことでプログラムを書いています。発症前であれば事前に全体設計できてましたが、今は事前に全体を見通すことができないので、このような方法を取っています。

二番目に大きな理由は、思考能力がとても低いからです。どんな風に書けばよいだろう…、と顕在意識の思考能力を使って考え始めると、思考能力不足からすぐに疲労して、頻繁に休憩が必要になってしまいます。そのため、思考能力が低いことを前提として「とりあえず部分的に動く」単純なものを作って、時間をおいては見直して、少しずつ機能追加したり効率向上したりと「推敲」を重ねるしかありません。

そのような訳で、どうしても手間暇がかかってしまいます。

しかし今の私には、たとえゆっくりであったとしてもプログラミングができるだけでもありがたいです。潜在意識のどこかに潜んでいる「昔取った杵柄」くんのお蔭です。


(2)逆転の発想

こうして考えてみると、作業効率や品質が低い理由は、作文とプログラミングはとても似ているように思います。会話で単純な内容しか話せないのも、同じ理由によるものかもしれません。

リハビリを長らく続けているお蔭で、現状の「思野」の狭さや思考能力の低さを当たり前のこととして、それを無意識の前提として作業できるようになりました。その結果、脳の回転力に過負荷をかけたり、思考能力の限界を超えて思考停止したりすることが少なくなりました。それが私なりの作業効率の向上につながっているのではないかと思います。

しかしながら、発症前と比べると作業効率が桁違いに低いことは認識しておく必要があると思います。すなわち、人様と一緒に作業できるレベルではありませんし、人様の依頼を受けて作業できるレベルでもありません。まだまだ初心者の趣味のレベルと言わざるをえません。

逆転の発想で、手間暇をかけるからこそ、という分野を見つけないといけなさそうです(笑)