法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

生まれてこのかたの体験を公案として読み解く

(1)公案

禅の公案では、禅僧の逸話からその心境を読み解きます。坐禅を通して高い心境に達した人には、登場人物の気持ちが手に取るようにわかるようです。公案は、高い心境に至るための梯子として機能しているのではないかと思います。

一方、私は罪悪深重・煩悩熾盛の極悪人です。悪行と悪業の塊です。禅僧の心境は私の理解力を遥かに超えています。そこで、生まれてこのかたの体験を「公案」に見立てて、なぜそのようなことが起きたのか、読み解きたいと思っています。登場人物の心の奥底が、手に取るようにわかるようになりたいと思っています。それを「人生は神様からいただいた公案」と称しています。

この世は私自身の鏡だと思っています。生まれてこのかたの体験を読み解くことを通して、自分自身に対する理解を深めたいと思っています。そして最終的には文章にまとめたいと思っています。それが私の今生における卒業制作になると思います。


(2)仮説

しかしながら、「言うは易く行うは難し」です。おそらく、仮説を立てては壊し、立てては壊しを何度も繰り返すことになると思います。喩えるなら脱皮を何度も繰り返しながら、少しずつブラッシュアップしていくことになると思います。

仮説を立てたり検証したりするときは、生まれてこのかたの体験を見渡して、思い出せる限りの体験を矛盾なく説明できることが最終的な条件となります。とは言え、いきなりすべての体験を詳細に思い出すことはできないので、まずは印象深い体験が考察対象となります。そして時間とともに、考察対象の体験を増やしていくことになると思います。

そのため、現時点での仮説は荒削りで間違いが多く、しかも体験全体の一部しか説明できてないと思います。これからブラッシュアップを繰り返して、少しずつ汎用的な仮説にしていきたいと思っています。


(3)文章化

仮説を文章にすると、その過程で曖昧なところや矛盾点が見つかるので、検証作業のよい機会となります。また、仮説全体を見通しやすくなるので、次の一歩を踏み出しやすくなるように思います。

そこで作文能力のリハビリを兼ねて、時々仮説の文章化に取り組んでいます。現時点では作文能力が圧倒的に不足しているので、文章化を何度も繰り返すことで文章力の上達を目指しています。

私は心のメカニズム(構造やアルゴリズム)に興味があります。私の体験したことを矛盾なく説明できるようになることが目標です。道徳的なことには興味がありません。そのため、私以外の人には有用性の低い文章になるかもしれません。無駄飯食いに見えたら誠に申し訳ありません。