法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

天地の法則に従う

(1)世間的な価値判断基準

生きていく上で何を大切にするかは、人によって異なると思います。

例えば、社会的なこと(例:名誉・財産)を大切にする場合、たとえ同じ物事を重視する人同士であっても、時代により地域により人により、具体的な内容は大きく異なることと思います。

あるいは、人間関係を大切にする場合でも、人によって期待する内容は大きく異なるのではないかと思います。

したがって、世間的な価値判断基準を大切にする限り、周りの人との擦り合わせや比べ合いで日々神経をすり減らさざるをえず、心が休まることがないのではないかと思います。


(2)世間的ではない価値判断基準

心安らかに暮らすためには、世間的ではない価値判断基準に従った方がよさそうです。そこで、、

世間的ではないものとして真っ先に思い浮かぶのは、宗教的なものではないかと思います。ところが世の中には宗教はものすごくたくさんあるようです。分派も含めると、星の数ほどあるようです。その中から自分にあったものを見つけるのは、ほとんどの人にとって至難の業ではないかと思います。仮に見つけられたとしても、教義を正確に深淵に理解することも至難の業ではないかと思います。したがって、余程のご縁がない限り、多くの人にとって現実的な選択肢ではなさそうに思います…

次に思い浮かぶのは、大自然ではないかと思います。大自然の法則であれば、全人類に共通なだけでなく、生きとし生けるものあらゆる存在にとっても共通です。しかも大自然は地球上のどこにでもあります。人体も大自然の一部です。人間は大自然の法則に従わざるを得ません。したがって、大自然の法則を価値判断基準のひとつとすることは、理にかなっているように思います。(これは喩えるなら「地の法則」です)

その次に思い浮かぶのは、人間の心の奥底に潜む法則です。意識の表面は人それぞれだと思いますが、意識の奥底のメカニズムは人類に共通しているのではないかと思います。例えば、真我とか仏性とか呼ばれているものは、これにあたると思います。そこで、人類共通のものがあると仮定した上で、意識の奥底の法則を価値判断基準のひとつにしたいと思っています。(これは喩えるなら「天の法則」です)


(3)天地の法則

そのような訳で、生きていく上で大切にするのは、上述の「天の法則」と「地の法則」にしたいと思っています。

ただし、この世で生きていくための補助的な価値判断基準として、ある程度常識的な行動規範は身につけておきたいと思っています。(いつも非常識ですみません)