法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

身体と調和して生きる

(1)身体は間違えない

いつの頃からか、「身体は間違えない」と思うようになりました。

身体は途轍もなく精巧にできています。何十兆個もの細胞が絶妙なタイミングで連携して、呼吸したり、血液を身体中に巡らせたり、食べ物を消化吸収したり、運動したり、休息したりしています。

意識が「ああしたい」「こうしたい」と大きな方向性を指し示すだけで、身体は自律的に絶妙に完璧に動作して、その意図を実現してくれます。慣れないことでも練習を繰り返すうちに、やがてすばらしい動きを見せてくれるようになります。

身体が間違っているように見えるときは、人間が誤解しているときだと思います。身体のことは身体自身が一番よくわかっていると思います。身体のことは身体にまかせるのが一番だと思います。


(2)身体は常に最善を尽くす

一般に病気と呼ばれていることも、身体がベストを尽くしている姿だと思います。病気の症状とされていることを分類すると、大きく次の3種類に分類できるのではないかと思います。

  1. 体に悪いものを追い出すための活動
  2. 悪条件の中で最善を尽くすための活動
  3. 体内で負荷を引き受け合うための活動

(2—1)体に悪いものを追い出す

例としては、風邪や肌荒れが挙げられます。

風邪の症状は場合によって異なりますが、発熱するのは侵入者と戦うためであり、食欲がなくなったり眠くなったりするのは体力を闘病に集中するためであり、咳・くしゃみ・鼻水も異物を排出するためだと思います。ですから、風邪をひいたときはグッスリ寝ているのが一番だと思います。

皮膚が荒れるのは、体にとっての毒物を汗腺から継続的に排出しているうちに、皮膚が負けたからだと思います。体にとっての毒物とは、化学物質(添加物や農薬等)や老廃物のことです。したがって皮膚が荒れたときは、飲食物や汚染物質に注意しながら、毒物の排出を促進することが本筋だと思います。毒物を排出し切れば、肌荒れはきれいに治ると思います。しかし万一、皮膚の荒れを薬物等で無理矢理抑え込んでしまうと、毒物を排出できなくなって体内への蓄積が進んでしまうと思います。

嘔吐や下痢も体を守るために毒物や不要物を排出することが目的だと思います。


(2—2)悪条件の中で最善を尽くす

体内に毒物(化学物質や老廃物等)が蓄積されると、その影響で個々の細胞の働きが落ちてしまいます。その結果、細胞の集合体である体内の組織も十分に働けなくなります。それでも最善を尽くしている状態が一定の度合いをすぎると、病気と診断されるようです。

体内の毒物は偏在しています。例えば、飲食物由来の毒物は消化器官周辺に溜まりやすいでしょうし、空気由来の毒物は呼吸器周辺に溜まりやすいでしょうし、接触由来の毒物は皮膚周辺に溜まりやすいと思います。運動不足・過負荷・打撲等によって血行に淀みができて、その周辺に毒物がたまることもあると思います。

また、血流によって毒物が別の場所に運ばれて、そこで溜まることもあるようです。例えば、毒物を汗腺や吹き出物から排出するために体表面に集積したり、毒物の処理のために特定の臓器に集積したりする場合などです。

そんな風にして毒物に浸された細胞は、どうしても働きが落ちてしまいます。病原体が繁殖する場合もあるかもしれません。細胞を再び元気にするためには、毒物をできるだけ体内に取り込まないこと、うっかり取り込んでしまった毒物をすばやく排出すること、全身の血行をよくすることが重要だと思います。するとやがて、病気と呼ばれる症状は消えていくと思います。


(2—3)体内で負荷を引き受け合う

弱っている部位を助けるために、他の部位が負荷の一部を引き受けることがあるようです。

例えば、体内の一部の組織の血行がとても悪くなって、高血圧を望むようになったとします。あるいは体内の一部の血管が弱って、低血圧を望むようになったとします。そのような組織が多くなってくると、全身のバランスを考えながら心臓が血圧を調整するのではないかと思います。生化学バランスも同様に、体内の一部の組織を助けるために、敢えて生化学バランスを変化させることがあるのではないかと思います。このように、血圧や生化学バランスの変化は結果であって、原因ではないと思います。身体の判断を無視して薬物等で結果の数値だけをいじると、却って体内に大きな混乱を引き起こすのではないかと思います。

また、体内の毒物が増えたとき、一部の細胞が変化して塊となって敢えて毒物を飲み込むことで、周囲の細胞を守ろうとすることがあるようです。毒物を飲み込むにつれて細胞の塊は大きくなり、毒物の処理が進むと塊は小さくなるようです。その塊自身が解毒しているのか、毒物の一時貯蔵庫として働いているのかは、場合によるのではないかと思います。このような塊が、体内のあちこちに現れては消えることを繰り返しながら、毒物の蓄積に対処していようです。どうしても解毒が間に合わない場合は、塊が肥大化したり、数が増えたりすることがあるようです。この塊が大きくなったものを、一般には癌と呼ぶようです。


(3)身体にまかせる

前述のように私は「身体は間違えない」と思っています。したがって、病気も身体自身にまかせるのが一番よいと思っています。そのためには、下記が重要だと思っています。

  1. 意識が身体の働きを阻害することのないよう、心を平和に保つことはとても重要だと思います。心の表面からストレスをなくすだけでなく、心の奥底からの平和が重要だと思います。アヒンサー(非暴力)ともつながるように思います。

  2. 身体が自然な状態で働けるように、自然な食事を心がけることはとても重要だと思います。例えば、旬のもの、近隣産の採れたてのもの、化学物質(添加物や農薬等)が僅少のもの、などです。また、できるだけ身体の声を聞いて、身体が求めるものを、求めるときに、求めるだけ食べることができれば、それが一番よいと思います(おそらく現代社会の常識よりも少食になると思います)。

  3. 身体が十分に働けるように、血行の淀みをなくしたり、毒物の排出に努めることも重要だと思います。適度に身体を動かしたり、適度に汗をかいたり、時々断食したり、などです。(私はほぼ毎日半身浴してます。活元運動もよさそうです。)

現代社会で完璧を目指すのは難しいと思いますが、一歩でも二歩でも取り組んでいきたいと思っています。(私は実践が十分には伴ってません…)


(4)身体に逆らわない

私は身体を信頼しているので、病気になるとしたら、必要があって病気になるのだと思っています。その結果死ぬとしたら、必要があって死ぬのだと思っています。ですから身体に逆らうつもりはありません。

こんな風に考えているので、私は現代医療の考え方とは相性が悪いようです。現代医療のお世話になるとしたら、大怪我をしたときか、死亡診断書が必要なときなど、私一人ではどうしようもない場合だけではないかと思います。

上述のような考え方にいたるまでに、何十冊、何百冊と本を読んだり、自分の体を使っていろいろと実験を繰り返したりしてきました。その結果得た結論ですので、簡単には変わらないと思います。(発症前からこのように考えているので、今も現代医療のお世話にならずに過ごしています)

健康に対する考え方は一人一人異なると思います。お互いの考え方を尊重しあって暮らしていければと思っています。


〔追記 2021-08-05〕

信号機で喩えるなら、現代社会の常識に従って暮らしているとすぐに黄信号が灯ると思います。一旦赤信号が灯って現代医療に頼るようになると、赤信号と黄信号の間を行ったり来たりするようになると思います。

私はできることなら、青信号の維持を目指したいと思っています。万一、黄信号、赤信号と進んでしまったときは、寿命かもしれないので身体の判断にまかせます。