法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

なんのために生まれてきたのか

(1)時は流れて

いつの間にかすっかり春らしくなっています。花は咲き、木々は芽吹き、気温はマイルド。お仕事にも行楽にもよい季節となりました。

俗に光陰矢の如しと申しますが、時は容赦なく流れていきます。時間よ止まれと思うと同時に、時の流れがすべてを解決してくれるようにも思います。水が高いところから低いところへと流れるように、時も過去から未来へと流れていきます。それが自然の姿なんだろうなと思います。諸行無常の響きあり、因果の法則は時の流れと共にあり。


(2)生まれてきたのは

なんのために生まれてきたのか。

思い出してみると、かつては「いろんなことを体験するため」だと思ってました。

例えば、あるときは天国のような日々を体験し、またあるときは地獄のような日々を体験する。あるときは幸せいっぱいで、またあるときは失い、あるときは社会的経済的に恵まれ、またあるときは失い、あるときは健康に恵まれ、またあるときは失う。そんな多彩な人生を送って、多様な体験をすることが、この人生の目的だと思ってました。

幸いにも、その願いは叶えられているように思います。そのお蔭で、それぞれの立場にあるときに、周りからどんな風に思われるか、どんな風に扱われるか、そのとき自分はどんな風に感じるか。たくさんのサンプルを得ることができました。滅多に体験できない状況もたくさん体験できました。これからもまだまだサンプルを採取したいと思っています。


(3)本当の幸せとは

いま興味があるのは、人の心の動きを、ある観点からアルゴリズム的に記述することです。さらには、集団心理を分散アルゴリズム的に捉えることです。そして、集団の構成員のパラメータの傾向から、集団心理の傾向を論じることです。

たった一人の人間が体験した、ほんの数十年間のサンプルを元に論じようというのですから、最初は穴だらけだと思います。まさに笑止千万、一種の自己満足に終わる可能性は非常に高いと思います(笑)

それでもいいのです、自分なりに納得のいく結論が得られれば。大変な思いをして天国も地獄も体験してきた甲斐があったというものです。

この世の天国も地獄も、ある意味で幻想だと思います。それよりも私にとって本当の幸せとは何か、この人生から何を得たいのか。それが一番大切だと思います。そこからズレてはいけないと思います。


(4)心を探る

そのためには、時には過去の感情の反芻もとても大切なことかもしれません。いま改めて過去の感情に没入することで、新たな視点を得られるかもしれないからです。と言うわけで、先日の長文作文が続いたあと、過去の感情の反芻の日々を送ってます。喩えるなら、古い倉庫を整理整頓したら古いホコリがたくさん舞って、マスクしてなくて、ゴホゴホ言ってる状態です(笑)

人間というのは面白いもので、肘は内側にしか曲がりませんし、前屈も限界があります。怪我で思うように動かないこともあります。同様に心の動きにも様々な制約があったり、人によって場面によって柔軟さが違ったりするのではないかと思います。心の傷が不可解な心の動きを招くこともあると思います。だからこそ、今日も人々の間で摩訶不思議な物語が展開されてしまう…

そんなとき、「なんでそんな言動を取るんだ!」と責める手もありますが、「なんでそんな言動を取るんだろう?」と探る手もあると思います。そして、似たような状況のたくさんの体験を比較しながら、自分なりの推理を進めていくことができるのではないかと思います。私は後者に興味があるようなのです、ちょっと変かもしれませんが…

と言う訳で、世のため人のためというよりも、自分のために生きるタイプのようです。どうもすみません…