法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「ハリボテ道」の興隆

(1)威張り散らす人

人が何に価値を見出すかは、人それぞれだと思います。

威張り散らす人たちが何に価値を見出すのか、いろいろと思い出しているうちに気がついたことがあります。

彼らは「権威」を感じる人や物に価値を見出しているのではないか… そんな仮説を立ててみました。


(2)権威

彼らにとっての「権威」の例を3つ挙げてみます。

  1. 彼らは自分が「権威」ある人物であるかのように振る舞おうとします。態度が大きかったり、極めて優秀であるかのように振舞ったり、容貌や話し方を工夫して威厳を演出したり…

  2. 彼らが「人蕩し」に励む人物は、彼らにとって「権威」ある人物のように思います。例えば、人事権や予算権を握っている人と懇意になって組織内の立場を固めたり、憧れのリーダーのお気に入りになって「ナンバーツー」(虎の威を借る狐)であるかのように振舞ったり…

  3. 彼らが勉強するのは、彼らにとって「権威」ある情報源に限られているように思います。著名な専門家の書いた書籍であったり、業界内で評価の高い資料であったり… 彼らは実務には疎いため、発行年が古くても気にならないようです。また、経験が浅いため理解が表面的になりがちで、誤解や記憶違いも多いように思います。実務を疎むため、勉強不足が問題となる機会は少ないようです。どうも「権威」だけが重要なように思われます。


(3)周回遅れ

逆に「権威」を感じない人や物のことを、徹底的に軽んじたり、時には徹底的に馬鹿にすることもあるように思います。

例えば、評価の定まっていない最新の研究成果を徹底的に無視したり、その分野の研究活動を徹底的に馬鹿にしたりすることがあるように思います。

一方で、彼らにとって「権威」あるメディアが取り上げたことは、その重要性に関係なく注目するようです。当然ながら、一般向けのメディアを情報源とする限り、情報が古くて、表面的で、曖昧になってしまう可能性が高いと思います。しかし、それは気にならないようです。

本来であれば(例えば技術分野であれば)、論文発表より遥か前から情報を追いかけて、重要性が高ければ詳細まで把握しておくべきではないかと思います。一般向けのメディアに載るのは業界内で熟成してからのことが多いので、その時点で注目しても、業界内では周回遅れ(しかも数周遅れ)にあたるように思います。しかし、それも気にならないようです。

そのような訳で、威張り散らす人たちは「権威」を重視するが故に、どうしても古い情報を追いかけることになるのではないかと思います。しかも、実務に疎いため、どうしても理解が表面的で、間違いが多いものになってしまうのではないかと思います。そして、そのことに問題を感じる機会も少ないようです。これはもう仕方のないことなのかもしれません。


(4)分かれ道

したがって、威張り散らしている人たちが実務を遂行しようと思ったら、まっとうな実務能力を持った人を配下に置いて、仕事を任せるしかありません。

その際、任された担当者が真面目であればあるほど、情報収集に努めて、最新の知見を取り入れて、実務をどんどんと改善していくことと思います。やがて、威張り散らしている人たちの理解を遥かに超えた実務が行われるようになることと思います。彼らの目にはデタラメな業務が行われているようにしか見えなくなってしまったときが、大きな分かれ道です。

仮に内容が理解できなくても、仕事が適切に遂行されていることだけは理解できれば、優秀な担当者に任せたまま発展し続けることと思います。

しかしもしも、仕事が適切に遂行されているかどうかすら理解できない場合は、担当者を交代させる判断をする事になるかもしれません。そのような場合は、威張り散らしている人たちのお気に入りの人たちからの突き上げもかなり大きくなっているでしょうから、急先鋒のお気に入りを担当者としてアサインすることになるかもしれません。

その結果、実務能力が大きく後退してしまう可能性は非常に高いと思います。そして必然的に大変な事態に陥ることになると思います。ところが、問題が大きくなればなるほど、責任を前任者や現場の人たちに上手に押し付けて、後任のお気に入りは「やけぶとり」する傾向があるように思います。

この分かれ道で失敗している組織は、多いやもしれません。


(5)威張れない社会

もしも、威張り散らしている人たちが「権威」などに拘らず、最新の情報を深く正確に理解した上で判断できるようになれば、世の中の組織は随分と変わるのではないかと思います。

しかし、彼らは適切に勉強する能力を持ち合わせていないからこそ、威張り散らして「権威」があるかのように振舞っているのではないかと思います。威張り散らしていれば、やがて世間が誤解してくれると知っているからこそ、威張り散らしている… すなわち「ハリボテ道」を極めようとしているのではないかと思います。

したがって、威張り散らしている人たちが中身で評価されるようになると、世の中は随分と変わっていくのではないかと思います。そのためには、私たち一人一人が中身を見る目を養う必要があると思います。「ハリボテ道」の興隆は、私たちの人物評価能力に大きなバグが潜んでいることを物語っているように思います。