法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

認識の地平線

(1)窓の景色

例えば5階建てのビルがあるとします。1階から見える景色と、5階から見える景色を想像してみてください。随分と違うのではないかと思います。

ある分野の入門者が見る景色と、5年経験した人が見る景色はそのくらい違っているのではないかと思います。50年経験した人が見る景色は、高層ビルの展望台から見る景色のようなものかもしれません。その分野の神様が見る景色は、宇宙から超高精度望遠鏡で見る景色のようなものかもしれません。

経験の深さと長さによって、見える景色はそのくらい違っているのではないかと思います。


(2)何階にいるのか

ところが、誰がどのような景色を見ているのか、傍目には簡単にはわかりません。また、自分が見ている景色が何階に相当するのかも、簡単にはわかりません。

初心者に近いほど、自分が見ている景色こそがすべてだと思いがちかもしれません。あるいは、少し経験を積んでくると、自分が見ている景色と同じ景色をみんなも見ていると思ってしまうかもしれません。


(3)誤解の元

そのような認識の違いは、誤解の元になりやすいのではないかと思います。

例えば、マネージャーは3階からの景色を見ていて、部下は10階からの景色を見ている場合に、マネージャーが上意下達・信賞必罰で事細かく指示を出すと、部下は大混乱してしまうと思います。

逆に、マネージャーは3階からの景色を見ていて、部下は1階からの景色を見ている場合も、マネージャーが上意下達・信賞必罰で事細かく指示を出すと、部下は大混乱してしまうと思います。

相手に合わせて適切に指示しないと、あっという間に火の車になってしまうと思います。


(4)ケアの現場

ケアの現場でも、同じようなことが起きるのではないかと思います。

世の中にはいろいろな人がいます。どんなに勉強しても、自分の知らない困りごとを抱えている人は五万といると思った方がよいのではないかと思います。

初心者で1階からの景色しか知らない人は、知らないことばかりだと素直に認めることができるのではないかと思います。しかし、5階からの景色が見えるようになったり、20階からの景色が見えるようになったりした人は、うっかり天狗になって、知らないことはほとんどないと思ってしまうかもしれません。

しかし、仮に高層ビルの最上階からの景色が見えるようになったとしても、やっぱり知らないことだらけだと認められる人でないと、適切にケアできないことがあるのではないかと思います。天狗になると、伸びが止まってしまうのではないかと思います。これはあらゆる分野で言えるのではないかと思います。


(5)認識の地平線

以下では、窓から見える一番遠いところを「認識の地平線」と呼ぶことにします。

「認識の地平線」の半径は一人一人違うと思います。厳密に言えば地平線は円形とは限らなくて、地平線の形状も一人一人異なっていると思います。

半径が小さいのに「俺様はエライ」と思って威張り散らしている人もいれば、半径が大きいのに謙虚な人もいると思います。実際には、謙虚だからこそ半径が広がっていくのだと思います。

「認識の地平線」の半径が随分と異なる人たちがコミュニケーションするときは、お互いの半径をおおよそ認識できてないと、大きな誤解を招く可能性が高いと思います。誤解を避けるためには、お互いが謙虚になる必要があると思います。謙虚でないと学び合うことは難しいと思います。

「認識の地平線」の半径は、人間がどんなに頑張っても全体のほんの一部しかカバーできないような小ささだと思います。知らないことだらけだと謙虚に認められないと、間違いを起こしやすいと思います。天狗になると、成長が止まってしまうと思います。

謙虚であってこそ、「認識の地平線」の限界を超えられるのではないかと思います。謙虚であってこそ、知らない世界に飛び込んでいけるのではないかと思います。