法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

明確な意図のある手

囲碁や将棋の棋士は、対局の手順を正確に記憶することができるそうです。一手一手に明確な意図があるので、一種の物語として記憶に残るようです。(同じ理由から、意味のない手が頻発する初心者同士の対局は覚えられないそうです)

ソフトウェアの世界でも似たような話がありまして、構造と手順がきっちりしているプログラムは、記憶に残りやすいです。頭の中だけでデバッグできたりします(便利です)。ところが、ぐちゃっとしたプログラムはさっぱり記憶に残りません。手抜きなプログラムも記憶に残りません。これは表面的な小奇麗(こぎれい)さとはまったく関係がありません。

1〜2年前に書いたプログラムも同じような話がありまして、試行錯誤しながらなんとか動かしたところは、どうしてもあちこちがぐちゃっとしているので、記憶に残りにくいです。一旦動いたあと、構造や手順を整理して書き直したところは、記憶に残りやすいです。(もちろん、最初からきちんと設計して、きちんと書いたたところも、記憶に残りやすいです)

そのような訳で、この2〜3日、ぐちゃっとしたままだったところの書き直しをしています。中身をすっかり忘れているので、少しずつ時間をかけて書き直しています。お蔭様で、少しスッキリしてきました。

ご承知の通り、私は理解力も記憶力もとっても低いので…、記憶に残りやすいプログラムを書くように心掛けないと、作業効率がとっても悪いみたいです。


ところで今やっている技術的作業は、ひとつひとつを取ってみると細かい作業の繰り返しなのですが、そんな小さな作業の積み重ねが、いつしか大きな作品となっていきます。おそらくどの分野でもそうなのでしょうが、全体像が見えないなかで、目の前のことだけに注目して作業しているので、余計そのように感じます。

ひとつひとつ丁寧に積み重ねていくことは、とても大切なことなんですね。