法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

心配性の心

世の中には時々、心配性の方がいらっしゃいます。私はイマイチその気持ちがわからなくて、いつも申し訳ないことをしております。そこで今日は、心配性な人たちの言動を色々と思い出してみました。

それでちょっと思ったのですが、もしかしたら心配性な人たちは、身近な人たちがダメ人間・ドジ人間に見えて仕方がなかったりするのでしょうか。そして、「この人はきっと、○○してるに違いない、△△してないに違いない」などと空想して、ソワソワしてしまうのでしょうか。さらに、その空想こそが真実だと信じて、「あー、こんなことをそのまま言ったら、あの人を傷つけてしまうだろうなぁ」などと気を使って、間接的に示唆しようとするのでしょうか。しかし、空想に過ぎないことを間接的に伝えようとしても、相手には気持ちは伝わらず、明後日な答えしか返ってきません。そこで、ますます空想を膨らませて、ますます心配してしまうのでしょうか。

さらにもしかしたら、心配性の大元には、自己否定の気持ちがあるのでしょうか。「自分はダメ人間・ドジ人間だけど、こんななに頑張ってる。なのにあの人は全然頑張ってない、に違いない。」などと空想して、ソワソワしたり、イライラしたりしてしまうのでしょうか。そして、そのソワソワとイライラが相手に伝わったりするのでしょうか。そんな状態が長く長く続いてしまうのでしょうか。

また、自己否定の気持ちが強くて、身近な人たちがダメ人間・ドジ人間に見えてしまうのでしょうか。逆に縁もゆかりもない、ただ偉そうにしているだけの人たちが、頼り甲斐のある立派な人物に見えてしまうのでしょうか。

そんな風に理解すると、心配性の方々の言動と印象がなんとなく説明できるような気がします。当たっているかどうかは分かりませんが…