法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

問題を解決するか、なかったことにするか

DP で起きたことは JP でも起きる。

どうも日本では『問題』という言葉の意味が人によって大きく異なっているように思います。

ある人たちは、『問題』とは「目標と現状の差異」である、と考えます。例えば、目標はすべての人々が健康を享受すること、現状が COVID19 が蔓延していること、だとします。その場合、『問題』を『解決』するためには、疾病の性質を理解し、感染状況を調査して、感染者を適切に治療したり、感染の拡大を抑制したり、といった対策を論理的に立案・実行していくことが重要になります。

別の人たちは、『問題』とは「不安が広がること」である、と考えます。例えば、COVID19 が大きな不安を引き起こしていることが問題だと捉えます。その場合、第一段階は COVID19 を敢えて無視します。心配ないことを強調し、感染状況がわからないようにします。無視できないくらいに蔓延してくると、第二段階に進んでショック療法に移ります。人々に一定期間ショックを与えて、人々が音を上げて「なかったこと」にしてくれるのを待ちます(ミソギと呼ばれることもあります)。それと同時に、神風が吹き飛ばしてくれるのを待ちます。第二段階がうまくいけば、第三段階に移って「なかったこと」にします。ここまで進めば不安は消えてます(ほんまか…)

どうも日本では官民ともに後者を得意としているように思います。しかし他国では前者の方策を取るところが多いように思います。

『問題』への対処法に関して、日本は非常に特異な文化を持つ国だと思います。ただ、「郷に入れば郷に従え」という言葉が示すように、日本では後者の対処方法を無視すると、空想に基づく不安が広がって却って問題をこじらせる場合があるようにも思います。ですから、前者の方策を取る場合でも、不安が広がらないよう慎重に事を進める必要があると思います。