法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

物事を理解する方法論は大きく分けて3種類あるのではないか

今月上旬から、思考能力のリハビリの一環としてソリティアに取り組んでいます。不思議なもので、ソリティアをしていると古い記憶が次々とリアルに蘇ってきます。そうやって記憶をたどりながら思うのは、物事を理解したり対処したりする方法論は、人によって大きく違うということです。それは大きく分けて3種類あるように思います。

今日はその3種類について、物事を理解する方法論の観点から、簡単に書いてみようと思います。


その3種類に敢えて名前をつけるとすれば、こんな感じではないかと思います。

  1. 頭で考える人(空想の人)
  2. 教えを乞う人(勉強の人)
  3. 自ら調べる人(分析の人)

1番の「頭で考える人(空想の人)」は、分からないことがあると自分の頭で考える人のことです。どうやら「私は何でもわかっている」と思っているようで、たとえ知らないことでも頭の中であれこれ考えて、「きっとこうに違いない!」と自信たっぷりに結論を出す人のことです。思い込みがとても強くて、事実よりも空想を優先する傾向にあるようです。(世間からは何でも即答するスゴイ人に見えることもあれば、妄想癖のあるアヤシイ人に見えることもあるようです)

2番の「教えを乞う人(勉強の人)」は、分からないことがあると誰かに教えを乞う人のことです。権威を感じる人に教えを乞うたり、権威を感じる書籍を読んだり、権威を感じるテレビを見たりして勉強する人のことです。結果的に周りの人に合わせる傾向にあるようです。(世間で言う真面目なタイプに多いように思います)

3番の「自ら調べる人(分析の人)」は、分からないことがあると自ら調べる人のことです。資料を幅広く読んだり、実験・観察・分析を繰り返したりして、自分が納得するまで突き詰めて、そこではじめて分かったと思う人のことです。(世間からは変な人と見られることが多いようですが、優れた成果を上げて世間から注目された途端に「天才」と評価されるようになります)


この3種類の人たちは、方法論が違うものの、よい関係性を結ぶ場合があります(逆に悪い関係性を結ぶ場合もあります)。

例えば、1番の「頭で考える人(空想の人)」は「私は何でもわかってる」と思って自信たっぷりに話をするので、2番の「教えを乞う人(勉強の人)」は権威を感じて教えを乞う場合があるようです(逆にデタラメと思われる場合もあるようです)。しかし、3番の「自ら調べる人(分析の人)」からは根拠のない主張を繰り返す頼りない人に見える場合があるようです。

2番の「教えを乞う人(勉強の人)」は真面目なので、1番の「頭で考える人(空想の人)」からも3番の「自ら調べる人(分析の人)」からも頼りにされる場合があるようです。

3番の「自ら調べる人(分析の人)」は物事を網羅的に理解しているので、1番の「頭で考える人(空想の人)」の参謀として重宝されたり、2番の「教えを乞う人(勉強の人)」が権威を感じて教えを乞う場合があるようです(逆に威厳がないように見えて軽くみられる場合もあるようです)。

また、1番の「頭で考える人(空想の人)」同士は、どちらが正しいかで競い合う傾向にあるようです。その結果、上下関係となったり、敵対関係となったりするようです。そうやって競い合う様子は、周りからは派閥争いに見えることがあるようです。


この3種類の人たちの社会的役割にも、パターンがあるように思います。

現代日本では、1番の「頭で考える人(空想の人)」が音頭を取って、2番の「教えを乞う人(勉強の人)」がそれに従って、3番の「自ら調べる人(分析の人)」が矛盾を解消するために走り回る役割を担っているのではないかと思います。

できれば、3番の「自ら調べる人(分析の人)」が社会の参謀として働く場がたくさんあるとよいのですが、現状ではなかなか難しいかもしれません。3番の「自ら調べる人(分析の人)」の社会的役割は、時代によって、国によって、様々なパターンを示すように思います。

小さなコミュニティーから国家まで、この3種類の人たちの役割分担の視点で見ると、私には分かりやすいように思います。

※ついついこんな風に分析的に考えてしまう私は、おそらくは3番の「自ら調べる人(分析の人)」の傾向が強い人ではないかと思います。


この3種類の人たちの存在は、前々から別々に見つけてました。しかし、他の種類の人たちもいるかもしれないとも思ってました。最近になって、この3種類の分類で十分ではないかと思うようになりました。そして、過去の記憶を見つめ直すことで、この3種類の分類方法はとても強力なことがわかりました。当時は摩訶不思議だったことが色々と説明できますし、それぞれの考え方への理解も深まるからです。

本当は、この三類型はもっと幅広い内容を持っています。私が過去の記憶を理解し直す場合には、まずはおおよそ三類型に分類して、さらに細かく傾向分けした上で、分析しています。しかし今日のところは、物事の理解の仕方の観点から紹介したので、前述のような単純化した書き方になりました。

純化しすぎてわかりにくかったかもしれません。ここから先は、またいずれ。

※実はもう1〜2種類あるような気がしています。ただし、ちょっと次元の異なる分類です。喩えるなら、三乗→一乗→仏のような、あるいは勇親智→愛→省のような、そんな関係にある3種類→1種類→1種類です。ただ、今日の時点では文章にまとめるところまで理解が進んでません。