法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

聞き取れなくてもなんとかなる

言葉が十分に聞き取れなくても、内容をある程度推測できることがよくあります。

相手の心の動きは、声や体の微妙な変化として現れてくるからです。

例えば心の中で「あっ」と思った瞬間、呼吸のリズムが一瞬変わります。すると、体のリズムも瞬間的に変わります。普段、呼吸によって体が微妙に波打っていることを認識することはありませんが、ハッとした瞬間の変化は意外と伝わってきます。顔の表情筋、呼吸の様子、全身の筋肉の微妙な変化から、喜怒哀楽などの感情もなんとなく伝わってきます。

また、目の動き、背筋の動き、体全体の動きからも、意外とたくさんのことが伝わってきますし、声の微妙な変化や話の間合いからも様々なことが伝わってきます。さらに、身振り手振りで意図をわかりやすく伝えようとする場合もありますし、視線の先・指差す先・顎でさす先などで話題の対象を直接的に伝えてくることもあります。打合せのようにテーマが決まっている場合は、記憶や知見を活用すれば、聞き取れなかった部分をある程度推測できることが多いです。それ以外にも、顕在意識では認識できない方法で、様々なことが伝わってきているのではないかと思います。

このように、相手が思っていることや考えていることは、言葉以外の方法である程度伝わってきます。私は言葉が十分に聞き取れないことがよくあるので、言葉以外の情報や既知の情報と組み合わせて、話の内容を推測しながら会話しています。

そのような状態ですので、心の中で思っていることと、言葉で伝えようとしていることが同じ人との会話は、比較的楽です。仮に言葉が十分に聞き取れない場合でも、なんとかなることが多いです。

それに対して、心の中で思っていることと、口にする言葉が大きく異なる人との会話は、混乱しがちです。仮に言葉がある程度聞き取れたとしても、本当にちゃんと聞き取れているのか不安になります。そのため例えば、〔頭で考えて〕気を遣う人、〔頭デッカチで〕理解が表面的な人、〔頭で覚えた〕マニュアルに従って対話する人、のように頭と心が離れている人との対話はすぐに脳が疲労します。

おそらく多くの人は、無意識のうちに言葉以外の情報を受け取りながら会話しているのではないかと思います。どのくらい受け止めることができるか、どのくらい重視するかは、人それぞれではないかと思います。私は言葉が十分に聞き取れないことがよくあるので、言葉以外の情報に大きく依存することで、なんとか会話できています。


ところで、これは私の仮説ですが、幼い子どもは言葉を学ぶ前に、言葉以外の方法で情緒や情報を受け取る練習から始めるのではないかと思います。言葉を使わない対話がある程度できるようになったところで、そのときに聞こえてくる音声と情緒・情報との対応付けをしていくことで、言葉を学んでいくのではないかと思います。

大人はそれが感覚的にわかっているので、幼い子どもと対話するときは、ちょっと大袈裟に発話して、言葉以外の方法でも情緒や情報を伝えようとするのではないかと思います。絵本の読み聞かせでも、幼児向けのテレビ番組でも、そうですよね。このように、言葉と情緒や情報が一緒にやってくる対話を通して、言葉を覚えていくのではないかと思います。

ところが成長するに従って、言葉優先・頭優先の会話になっていくのではないかと思います。大人になる頃には、言葉以外の情報を軽視するようになり、さらにはとんでもない誤解をするようになるのではないかと思います。私も以前はそうでした。本当にもったいないことだと思います。