法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

当たり前に見えることの中にこそ、本当に貴重なことがあるのではないか

だいぶん前に何かで読んだ話によると、現代人は必需品にはお金を出したがらないそうです。ところが贅沢品には喜んでお金を出すそうです。これを言い換えると、現代人は当たり前のことには価値を見い出すことができず、珍しいことにのみ魅力や価値を感じてしまうのかもしれません。

たとえば、読んだり書いたり、聞いたり話たり、考えたり。立ったり座ったり、歩いたり走ったり、作ったり使ったり、歌ったり踊ったり。多くの人にとって当たり前のことでも、すべての人にとって当たり前とは限りません。当たり前すぎて価値がないように見えることの中にこそ、本当に貴重なことがあるのではないかと思います。

これを「ドングリの背比べ」を使ってたとえるなら、現代社会においてはドングリどうしの微妙な違いばかりが注目されて、ドングリをドングリたらしめている本質的な部分は忘れ去られているのではないかと思います。根幹を無視して枝葉ばかりに注目が集まるのが現代社会なのかもしれません。

逆に人々が本質を見つめるようになると、そして一人一人が持つ本質部分の微妙な違いを大切に思えるようになると、社会が変わるのではないかと思います。人が部品として評価される社会ではなく、人が人として大切にされる社会に変わっていくのではないかと思います。

そして一人一人が持つ特徴を上手に生かした役割分担がなされるようになるのではないかと思います。違いが尊重され、差別がなくなっていくのではないかと思います。21世紀はそんな社会になるといいな…