法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

断捨離と街歩き

このところ街歩きする機会が多いです。

市街地には豪邸もあれば規格品住宅もあれば安アパートもあります。そこに暮らす一人一人がそれぞれの人生を歩み、一軒一軒がそれぞれの暮らしを営んでいます。そんなこんなを思いながら歩き回っていると、ふと吹っ切れたような軽い気持ちになって、今まで捨てられなかったものを手放す覚悟ができていることがよくあります。いつの間にか、街歩きは断捨離の重要な一部となっているようです。

断捨離はお風呂のお湯をお玉で汲み出すようなものだと思います。私の場合、日々の断捨離で捨てられるのは、ほんのわずかづつです。それが積もり積もって、「少し減ってるかなぁ」とか、「ちょっとスッキリしてきてるかなぁ(当社比)」などと思うことがあります。しかしまだまだたっぷり残ってます…

現在の私の大きな問題は、(1) 自力では自宅を維持管理できない、(2) 地域の共同作業をほとんどお手伝いできない、ことです。肉体作業がある程度できるようになるまでには、まだまだ年単位のリハビリ期間が必要だと思います。ですから真剣に『EXIT戦略』を考えないといけないと思っています。どんな形になるかはわかりませんが…

いずれにしろ、できることはまだまだ限られてますし、高度なことはとてもできそうにありませんので、家の中は使えないモノであふれています…。ですから断捨離は必須だと思っています。どこまで断捨離することになるかはわかりませんが、、誰が見ても「スッキリしてる!」と思ってもらえるところまでは断捨離する必要があるんじゃないか…と漠然と思っています。

今日古本屋さんで買った本に「大切なものを捨てれば幸せになれる」と書いてありました。おそらく、「大切と思い込んでいるだけで本当は大切でないものを捨てる」という意味だと思います。私のような煩悩まみれの凡人には、本当に必要なもの・本当に大切なものを見極めることは、実はとても難しいことなのかもしれません。そのため、大切なもの(=大切だと思い込んでいるもの)を捨てるという荒療治が意味を持つのかもしれません。

ところで、断捨離では確実に要らないものから捨てていくことが基本のようです。そうやって要らないものから捨てていると、残ったものの中にも要らないものが見つかるようになり、最終的には本当に要るものだけが残るようです。しかし、最終的に残った「本当に要るもの」は果たして本当に必要なのか?まだまだ詰めが甘いのではないか?と問われると、おそらく私は「詰めが甘い…」と感じるタイプだと思います。そうするとやはり、衣食住周りの最低限+若干のデジタル機器あたりが、私の目指すところではないかな…と思います。その状態を目指して執着を手放して行かねばなりません。そんなこんなで、執着を手放すための時間が相当必要になりそうです…。と言う訳で、またまた街歩きする口実が増えました♪