法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

自分に向けられた言葉以外は環境音

(1)他人の会話は環境音

私は聴覚情報処理障害のような症状があって、音としては聞こえていても、ゆっくりめに話してもらわないと言葉としては十分には理解できません。

そこで会話の際は、聞き取れた単語と、話し手の全身から発せられる様々な情報をもとに、発話内容を理解しています。これは私にとっては当たり前の状態で、あまりに慣れてしまって無意識のうちに行っているようなので、具体的にどのような情報を元にどのような判断を下しているのか、もはや自分ではよくわかりません(笑)

そのような状態なので、自分に向けられた言葉以外はハナから理解する気がないようです。そのため、他人の会話は、雑踏のざわめきや街中の自動車音と同じ扱いで、環境音のひとつとして捉えているようです。大きな声が急に聞こえてきたときは注意を向けますが、それ以外は聞こえていることすら意識にのぼりません。


(2)映像展示は眺めるだけ

これは最近、とある展示会場で気付いたことです。

会場内のスクリーンに映像が映っているとします。通常は音声も流れていることが多いのではないかと思います。ところが私の場合、スピーカーがスクリーンとは少し離れた場所に置いてあると、音声が流れていることに気付くことができません。映像と音声の距離感が違うと、両者の間に関係性があることを認識できないようです。

幸い、液晶ディスプレイの場合は、私でも映像と音声の関係性を認識できます。スピーカーが内蔵されていたり、並べて置いてあったりすることが多いからです。液晶ディスプレイに近付くと音声も大きくなるので、関係性に気付くことができます。ところが、スピーカーから流れてくる音声が私には早口することが多くて、説明を十分に理解することができません。

そこで結局、いずれの場合も映像だけを眺めることになります。そして、映像だけではよくわからないので、すぐに立ち去ることになります(笑)