法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

苦行と欲行

(1)苦行

一般に「苦行」というと忍耐力を磨くためというイメージで語られることが多いのではないかと思います。しかし私は、(もちろん私の勝手解釈ですが)、本来は体質を変えたり、心身の使い方を工夫して新たな使い方を身につけていったりすることが目的だったのではないかと思っています。

例えば寒中修行は、身体の自然な発熱量(熱産生)を高めたり、寒中における呼吸の仕方・身体の使い方・意識の持ち方などを練習することを目的としていたのではないかと思います。寒さへの適応力が高まれば高まるほど、寒中修行のメニューを少しずつ厳しくすることで、真冬でもより研ぎ澄まされた心身の使い方ができるようになることを狙っていたのではないかと思います。

証拠はまったく持ち合わせていませんが…、忍耐力を高めるだけだとすると創造的な活動とはとても思えないので(笑)、こんな風に考えています。

子どもの頃に自転車の練習をしたときと同じで、最初のうちは失敗して苦しい思いをすることもあるかしれません。しかし、練習を積み重ねるにつれて成功率が高まって、やがて苦しい思いをすることがなくなるのではないかと思います。修行が進めば進むほど、世間の常識から離れていって、世間の人には我慢大会のように見えたり、「禁欲」や「苦行」に見えたりしていたのではないかと思います。

勝手解釈ですが、そんな風に考えています。


(2)欲行

現代社会は、歴史上最も物質的にも金銭的にも豊かな時代ではないかと思います。

そのため、欲望を叶える機会にあふれています。また、欲望を追い求めることを正当化する理屈にもあふれています。普通に暮らしていると、欲望に溺れていながらも、自分が溺れていることに気付けないでいることが多いのではないかと思います。

そのような現代社会において、欲望に溺れることなく、自分自身を見失わずに生きていくことは、大変難しいのではないかと思います。

このように考えると、現代社会で本当の自分に正直に生きていくことは、「苦行」の反対の「欲行」と言ってもよいのではないかと思います。

私たちは、「欲行」という修行するために現代社会に生まれてきたのかもしれません。


(3)

かつてブッダは「比丘たちよ、世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。」と説いたそうです。

ふたつの極端とは、(もちろん私の勝手解釈ですが)、(1)苦難を味わうことを目的とした「苦行」と、(2)享楽を味わうことを目的とした「欲行」、ではないかと思います。

傍目には「苦行」に見えても、実際には苦難への忍耐力を高めることを目的としない訓練は、この世にはたくさんあると思います。同様に、傍目には「欲行」に見えても、自分自身の欲望実現を目的としない訓練は、この世にはたくさんあると思います。

手段ではなく、目的の「中道」を目指したいと思っています。