法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

修行方法は梯子

一般に、修行方法(もしくは「○○道」)は先人が作ってくださったありがたい「梯子」だと思います。こわごわであっても登って行きさえすれば、いつかは雲の上に出ることができます。雲の上からは天候に関係なくお月様を愛でることができます。しかしお月様はまだまだ遥か彼方にあって、どんなに長い竿を使っても決して届くことはありません。そこから先の梯子を作るのは、一人一人の工夫ではないかと思います。

おそらく優れた修行方法(もしくは「○○道」)であれば、お月様まで届く「梯子」を内包していると思います。しかし数百年、数千年の歴史の中で表面が変質してしまって、せっかくの優れた「梯子」が見えにくくなってしまっているかもしれません。そのような場合であっても、本質的な大基本の中に「梯子」が折り畳まれて収まっていると思いますので、見る人が見れば大基本の中から「梯子」を引っ張り出すことができると思います。そしてお月様まで行けると思います。本当の意味での中興の祖は、それができた人のことではないかと思います。

例えるなら、優れた教えはドラえもんの四次元ポケットだと思います。取り出し方が分かる人は、たとえポケットがどんなに汚れていたとしても、欲しいものを何でも引き出せると思います。しかし、取り出し方が分からない人は、例えポケットがどんなにピカピカだったとしても、何も引き出すことができないと思います。そう考えるとドラえもんは結構悟っていたのかもしませんね。

また、一般に宗教は古来の叡智の残骸であり、タイムカプセルでもあると思います。そのタイムカプセルから何を取り出せるか?ドラえもんのように四次元ポケットの優秀なオペレーターになれるか?中興の祖のように失われた叡智を引き出して人々に伝えられるか?というあたりが現代まで伝わる宗教と関わる際のポイントではないかと思います。