法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

文章化は記念撮影みたいなものかもしれない

(1)今日も推敲作業

引き続き、作文作業をしています。

今日も推敲作業に取り組みました。用語選びと表現方法選びにはいつも難儀しています(笑)

構成を変更して、考察が不十分なところは後回しにすることにしました。


(2)文章作品

私は非言語思考の人なので、作文作業の元ネタは非言語の状態で記憶しています。考察も主に非言語の状態で行います。作文作業では、非言語状態の元ネタを文章で表現することを目指しています。

ところが、文章化しようと思うと、言葉で表現しやすいように概念を分割したり、概念の部分部分に名前をつけたり、概念上の動作が伝わりやすい動詞を見つけたりなど、用語選びで想像以上に手間取ります。一旦名詞や動詞を割り当てても、よりわかりやすい単語が見つかれば置換作業と確認作業が必要になります。

また、文章の流れにも気をつけないといけません。重要なことは行間で伝えるのではなく、ちゃんと言葉を膨らませて書かないといけません。重要なことが埋もれないように、重要度の低いものは削除しないといけません。しかし重要度の高いことだけを書こうとすると、表面的な説明になりかねません。

説明の順番も大切で、説明をきちんと積み上げていかないといけません。表面的な説明が続くと眠気を誘うかもしれないので、流れを遮らない範囲で説明を膨らませないといけません。

そうやって試行錯誤を繰り返しながら書いていると、非言語状態の元ネタを文章で表現したものというよりも、ひとつの文章作品という感じになってきます。


(3)記念撮影

喩えるなら、現場写真のようなものかもしれません。

現場にいると、五感から様々な情報が入ってきます。時間帯によって、日によって、季節によって、様々な表情を見せてくれることと思います。

ところが現場写真を取るときは、撮影するのにちょうどよい場所から、ちょうどよい範囲を切り取ることになります。撮影に邪魔なものは、一時的に別な場所に移動することもあるかもしれません。人が写る場合は特別なポーズを取ってもらうこともあると思います。確かに現場の写真なのですが、ひとつの側面しか切り取ることができません。

非言語の元ネタを文章で表現する作業も同様に、ひとつの側面を文章化したにすぎません。ある種の記念撮影と言えるかもしれません。そんな感じがしています。