法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「先天の気」は誕生時のストック、「後天の気」は誕生後のフロー

今日から、七十代の著者が孫世代に向けて優しい語り口で書いた本を読みはじめました。すぐ読めると思って手にしたのですが、喩えるなら雀の歩みのように、少し読んではしばらく休み、また少し読んではしばらく休み、を繰り返しています。そのような読み方になってしまう一番大きな理由は、著者の長い人生経験が一行一行ににじみ出ているからだと思います。

なにしろ著者が七十年以上かけて得たことのエッセンスを孫世代にも伝えようと愛情を込めて書いた本です。表現は平易でも、一行一行に込められた思いはとても深淵です。その行間から著者の思いを読み取るだけでもハードな作業です。さらに読み取った思いからインスピレーションをいただいては私の頭の中を再整理しているので、輪をかけてハードな作業となってます。

喩えるなら、大人用のプールに入って(泳がないで)ずっとずっと歩いているような感じです。体力(集中力)が不十分な私は、ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休みしています。読み終わるまでにはもう少し日数がかかりそうです。


この本の中のあるところに、「元気」は「気の元」だと書いてありました。それだけと言えばそれだけなのですが、私はそれを読んで「先天の気」「後天の気」という言葉を思い出しました。

漢方では、「先天の気」は生まれながらに持っている『気』のことで、「後天の気」は生まれてから補充する『気』のことだそうです。そのような説明を読んで表面的な意味を記憶することはできても、その意味するところを掴みかねてました。

しかしこの本の上述部分を読んで、「先天の気」は誕生時のストック、「後天の気」は誕生後のフローと考えると私にはわかりやすいことに気付きました。

種子植物のタネに喩えるなら、タネにあらかじめ内蔵されている栄養分が「先天の気」にあたると思います。最初はその栄養分を使って根や葉を伸ばし、やがて環境から栄養分を取り込むようになります。成長しながら環境から取り込む栄養分が「後天の気」にあたると思います。(卵生動物のタマゴでも同じような例え話ができると思います)

同様に、人間がオギャーと生まれてきたときに持っているエネルギーが「先天の気」ではないかと思います。そのエネルギーを使って成長を始めて、この世にしっかりと根を張って葉を茂らせて、やがてこの世から取り込むようになるエネルギーが「後天の気」ではないかと思います。

そのように考えると、子どもにとって重要なのはまずはこの世にしっかりと根を張り葉を茂らせることであって、彼方の世界とつながってエネルギーを受け取るようになるのは十分に成長して準備が整ってからの方がよいのではないかと思えてきます。そこを間違えると、自然な成長を疎外して本来あるべき姿から離れてしまうのではないか。子どもの頃は「先天の気」を十分に活用することが重要で、そうであってこそ成長してから「後天の気」を十分に受け取ることができるようになるのではないか。そんな風に思えてきます。(ただし、成長段階において「後天の気」をいつからどのくらい取り込むのが適切かは、人それぞれだと思います)

書いてしまえばそれだけの話なのですが、これは私には「目から鱗」のようなとてもわかりやすい解釈でした。(ただし、このような理解が正しいかどうかはわかりません、追々検証が必要です)


繰り返しになりますが、実際にはこのようなことは著者は一言も書いてありません。ただ、この本を読んでいると上記を含めて様々なインスピレーションが浮かんでくるので、私なりの理解がどんどん広がっていきます。お蔭で、少し読んではしばらく休憩することを繰り返さざるを得なくなっています。そういう観点からはとても面白い本です。この本は、もうしばらく手元の置いておくべき本かもしれません。