法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

たまたま最後に発見したものが大発見のように思えてしまう

しばらく足踏み状態だった調べ物が、ようやく前に進める状態になりました。知らないとまずいことを新たに勉強して、理解が曖昧なことを改めて勉強し直して、わかっているつもりのことも再確認して、まさかと思うことも念の為に確かめてみて、ようやく分かりました。

本当はたくさんの発見があってこそ前に進むことができたのですが、面白いもので一番最後の発見だけが記憶に残っています。どの順番で発見するかは偶然の産物のはずなのですが、たまたま最後に発見したものだけが大発見のように思えてしまうんですね。印象というのは面白いものだなと思います。

科学・技術や数学でも同じような話があるのではないかと思います。世紀の大発見、世紀の大発明と呼ばれるものは、先人たちのたくさんの積み重ねの上に、最後のピースを置いた人の名誉になることが多いのではないかと思います。ひょっとしたら、発見や発明の順番がちょっと変わっただけで、世紀の大発見、世紀の大発明の栄誉を与えられる人は変わってしまうものなのかもしれません。最後の人が名誉を総取りするシステムは不思議なようでいて、当たり前のようでもあり、なんだか面白いなと思います。イソップ童話「ウサギとカメ」で喩えるなら、先に着いたカメは無名のままなのに、寝坊したウサギがノーベル賞を受賞して歴史に名前を残すような話なのかもしれません。(すみません、譬えがちょっと乱暴ですね)