法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

藤田一照,光岡英稔(共著)「退歩のススメ: 失われた身体観を取り戻す」

藤田一照,光岡英稔(共著)「退歩のススメ: 失われた身体観を取り戻す」を読みました。曹洞宗僧侶で曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんと武術家で日本韓氏意拳学会代表および国際武学研究会代表の光岡英稔さんの対談本です。構成とライティングは尹雄大さんが担当したそうです。

心身の使い方は普遍的なようでいて、実際には時代により、地域により、人により、大きく異なるようです。例えば日本では明治以降に西洋式の体の使い方が教育の場に導入されてからは、体の使い方が大きく変わってしまったようです。そのため江戸時代まで誰でも当たり前にできていたことでも、現代人には作り話の冗談にしか聞こえないようなことがいくつもあるようです。この本には直接的には書かれていませんが、おそらく心のあり方も使い方も江戸時代と現代とでは大きく異なっているのではないかと思います。意識と心身との関係性も大きく変わってしまったようです。

仏道の修行方法や武術の型など古くから伝わる訓練方法は、古(いにしえ)の人々の心身の使い方を前提として、そこを出発点として修行者を導いているものが多いそうです。そのため現代人が取り組む場合、まずは古の心身の使い方を取り戻すところから始めた方が効果が大きくなるようです。

歴史の流れの中で見ると現代人の心身の使い方は特殊であり、実際の心身に即しているというよりも空想的観念的な産物と考えた方がよさそうに思います。したがって、仏道や武術の稽古をするしないに関わらず、古から伝わるより自然な使い方に戻した方が心身ともにスッキリしてよいのではないかと思います。

この対談では、より自然な姿に戻ることを「退歩」と呼んでいるようです。道元禅師の「普勧坐禅儀」に「廻光返照の退歩を学すべし」と書かれていることが元になっているそうです。根源に戻る、という意味で使われているのではないかと思います。

さて、改めて考えてみると、坐禅も型も、修行者が根源に戻り、根源の力を引き出すためにあるのではないかと思います。その一方で、坐禅も型も修行者が根源に戻ってからの方が効果が大きくなるそうです。すなわち、坐禅も型も続ければ続けるほど効果が大きくなるのではないかと思います。また、初心のうちは根源に戻るための補助的な鍛錬を並行して行った方が効果が高まるのではないかと思います。

《参考文献》

以下、道元禅師が書かれた「普勧坐禅儀」関連の文献です。