法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

試行錯誤の日

今日もプログラミング作業に取り組みました。今日は試行錯誤の日でした。

まず、当初の方針で作業してみると、これまでの前提を大きく変更しないといけなくなることがわかりました。それでは影響が大きすぎるので、一旦休憩して考え直すことにしました。

次に、休憩後に立てた方針で作業してみると、実行性能を大きく落とさざるをえないことがわかりました。これではあまりに辛いので、再び休憩して考え直すことにしました。

改めて、夕方に立てた方針で作業してみると、多少手間はかかったものの、すんなりと実現できました。(とは言え、未解決の課題が若干残っています)

今回も失敗から学ぶことはとても多かったです。それぞれの方針が、どのような場合に有効で、どのような場合に使いづらいかについて、たくさんの知見を得ることができました。

寒い季節は休憩の季節

冬場は血行が悪いので、人工化学物質(添加物や農薬等)がたっぷり入った飲食物を摂取すると、即座に身体のあちこちから小さな悲鳴があがります(笑)。悲鳴と言っても、傷口がしばらく痛むようになったり、指先付近に瞬間的な痛みを感じたり、手の指の動きが不正確になったり、身体感覚がちょっと変わったりと言った感じです。

また、冬場は脳の回転力が一段と落ちてしまいます。例えばプログラミング作業において、理解を深めるために考えを巡らせようと思っても、思うように思考を進めることができません。ときには、「下手な考え休むに似たり」を通り越して「思考停止」に近い状態になってしまいます(笑)

そこで対策として高カロリーな飲食物を摂取したくなるのですが、、いかんせん、前述の通り身体のあちこちから小さな悲鳴があがってしまいます。。(笑)

根本的な対策としては、温かい季節が来るのを待つしかないのかもしれません…

温かい季節になるまで、笑って暮らそうと思います(笑)

苦行と欲行

(1)苦行

一般に「苦行」というと忍耐力を磨くためというイメージで語られることが多いのではないかと思います。しかし私は、(もちろん私の勝手解釈ですが)、本来は体質を変えたり、心身の使い方を工夫して新たな使い方を身につけていったりすることが目的だったのではないかと思っています。

例えば寒中修行は、身体の自然な発熱量(熱産生)を高めたり、寒中における呼吸の仕方・身体の使い方・意識の持ち方などを練習することを目的としていたのではないかと思います。寒さへの適応力が高まれば高まるほど、寒中修行のメニューを少しずつ厳しくすることで、真冬でもより研ぎ澄まされた心身の使い方ができるようになることを狙っていたのではないかと思います。

証拠はまったく持ち合わせていませんが…、忍耐力を高めるだけだとすると創造的な活動とはとても思えないので(笑)、こんな風に考えています。

子どもの頃に自転車の練習をしたときと同じで、最初のうちは失敗して苦しい思いをすることもあるかしれません。しかし、練習を積み重ねるにつれて成功率が高まって、やがて苦しい思いをすることがなくなるのではないかと思います。修行が進めば進むほど、世間の常識から離れていって、世間の人には我慢大会のように見えたり、「禁欲」や「苦行」に見えたりしていたのではないかと思います。

勝手解釈ですが、そんな風に考えています。


(2)欲行

現代社会は、歴史上最も物質的にも金銭的にも豊かな時代ではないかと思います。

そのため、欲望を叶える機会にあふれています。また、欲望を追い求めることを正当化する理屈にもあふれています。普通に暮らしていると、欲望に溺れていながらも、自分が溺れていることに気付けないでいることが多いのではないかと思います。

そのような現代社会において、欲望に溺れることなく、自分自身を見失わずに生きていくことは、大変難しいのではないかと思います。

このように考えると、現代社会で本当の自分に正直に生きていくことは、「苦行」の反対の「欲行」と言ってもよいのではないかと思います。

私たちは、「欲行」という修行するために現代社会に生まれてきたのかもしれません。


(3)

かつてブッダは「比丘たちよ、世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。」と説いたそうです。

ふたつの極端とは、(もちろん私の勝手解釈ですが)、(1)苦難を味わうことを目的とした「苦行」と、(2)享楽を味わうことを目的とした「欲行」、ではないかと思います。

傍目には「苦行」に見えても、実際には苦難への忍耐力を高めることを目的としない訓練は、この世にはたくさんあると思います。同様に、傍目には「欲行」に見えても、自分自身の欲望実現を目的としない訓練は、この世にはたくさんあると思います。

手段ではなく、目的の「中道」を目指したいと思っています。

寒風と自転車

寒い季節になって、自転車での外出が億劫(おっくう)に感じることがあります。

その一方で、寒風の中を自転車で走ることが気持ちよく感じられる日もあります。

からだが慣れてきたからかもしれませんし、自転車での外出が心地よく感じられる時間帯を自然に選べるようになってきたのかもしれません。あるいは、寒風の中を快適に走るコツをつかみつつあるのかもしれません。

いずれにしても冬を快適に過ごせるのはありがたいことです。

薩摩芋

薩摩芋をいただいたので、細かく切って、煮て食べました。グツグツと煮ながら少しずつ食べたので、かなりアツアツでした。とても美味しかったです。

食べ終わってからネットで検索してみると、薩摩芋を美味しくいただくには65〜80℃で加熱するとよいそうです。石焼き芋はちょうどそのくらいの温度で加熱するので美味しいのだそうです。ところが私はグツグツ煮てしまったので…、100℃近くで加熱したのではないかと思います。。

薩摩芋はもう一本残っているので、今度はゆでる温度に気をつけようと思います。しかし、料理用の温度計を持ってないので、どんな風に気をつければよいかはわかりません…(笑)

小さくて大きな勘違い

今日もプログラミング作業に取り組みました。

今日の最後の締めくくりとしてテスト・ケースを増やしてテストしてみたところ、予想外の動きをする場合があることがわかりました。このままでは今日の作業を終われません…(笑)

原因を調べてみると、利用している部品の仕様の一部を誤解していたことがわかりました。厳密さが要求される部分なので、この部品の利用箇所をひとつひとつチェックしていくのはちょっとばかり根気が必要です…(笑)

夜の脳の回転力でこれ以上調べても信頼性の低い結果しか得られそうにありませんし、うっかり修正作業に手を出すと大量にバグを埋め込みそうなので、続きは明日…(笑)

有効な対症療法は根本的な問題点を見つけるための大きなヒント

今日もプログラミング作業に取り組みました。

私は後遺症のため「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」なので、一度にたくさんのことを考えたり複雑なことを考えたりすることができません。そのため、プログラミング作業においても、いわゆる設計作業はほとんどできません。

そこで、必要そうな部品を少しずつ作って、少しずつ組み立てながら、そして時々整理整頓しながら作業を進めています。部品に求められる機能も最初のうちはあまりわからないので、まずは基本機能を大雑把に作って、必要に応じて機能追加していきます。

ところが、それぞれの場面でどのような機能が必要かをしっかり考えることも、私にとっては簡単なことではありません。そのため、動作条件によって動いたり動かなかったりすることがあります(笑)

そのような場合には、とりあえず対症療法的な修正をするしかありません。そうやって、あちらこちらに対症療法的な修正を施しているうちに、やがて根本的な問題点が見えてきます。そうなってはじめて、まっとうな修正をすることができるようになります。すなわち、有効な対症療法はより根本的な問題点を見つけるための大きなヒントとなっているような気がしています。

ただし、一気に根本的な問題が見えてくるとは限らず、根本的な問題点に一歩一歩近づいていくような場合もあります。同様に、根本的な問題点を見つけたつもりが、その奥にはより根本的な問題点が隠れている場合もあります。いずれにしても、地道に修正作業を続けていくしかありません。

そうこうしているうちに、やがて全体像が少しずつ見渡せるようになってきます。そこで、その時々の知見を用いて、少しでも厳密になるように、あるいは高性能になるように書き直していきます。これを繰り返していきます。

こんな風に、部品と経験を少しずつ積み上げるようにプログラミング作業をしています。このような方法しか取れないからでもあり、同時に今の私にはこのような進め方が一番よいからでもあります。