法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

お盆にコーヒー

最近コーヒーをいれるときの手順は、、まずお盆を用意して、その上にドリッパーを置いて、ペーパー・フィルターをつけて、コーヒー豆を入れて、それからカップをお盆に置いて、ドリッパーをカップに乗せて、お湯を注ぎます。今となっては、まったく単純な手順です。

ところが今日はうっかりして、ドリッパーをカップの上に乗せる前に、ドリッパーにお湯を注いでしまいました。最初のむらしを含めて3回くらい、お盆の上に漏らしてしまいました…

幸い、すぐに気づいてドリッパーをカップの上に乗せました。お陰で今日も美味しくコーヒーをいただけました。

それにしても、こんな失敗初めてです。お盆を敷いてたので助かりました。たまにはこんな日があってもいいですよね…(笑)

受容の過程

スイス出身で米国で活動した精神科医エリザベス・キューブラー=ロスは、死にゆく患者200人との対話を通して、死を受け入れていく心の変容の過程に、共通の傾向があることを発見したそうです。

  • 第1段階「否認」では、自分は死ぬはずはないと否認するそうです。
  • 第2段階「怒り」では、なぜ自分がこんな目にあうのか怒りを周囲に向けるそうです。
  • 第3段階「取引」では、神仏に願掛けするそうです。
  • 第4段階「抑鬱」では、無力感から絶望するそうです。
  • 第5段階「受容」では、安らかに死を受け入れるそうです。

これはあくまでも大きな傾向であって、人によって様々な経過をたどるそうです。また、これはキリスト教文化圏での傾向ですから、死生観の異なる日本では若干異なる場合があるのではないかと思います。(おそらく、文化圏によって、人によって、少しずつ異なるのではないかと思います)


前述のキューブラー=ロス・モデルは、死にゆく人々の心の変容の過程を対象としていました。

これは推測ですが、病気・怪我・破産・事件などで大きな不幸に見舞われた人々も、それを受け入れていく過程に共通の傾向が見られるのではないかと思います。

また、身内や友人が大きな不幸に見舞われた人々も、それを受け入れていく過程に共通の傾向が見られるのではないかと思います。

その過程は、前述のキューブラー=ロス・モデルと同じとまでは言えなくても、どこか似ているところがあるかもしれません。

そんな風に考えると、仮にいま現状を受け入れたくない人がいたとしたら、その人の気持ち(前述の第1段階「否認」に似た気持ち)を無下にしてはいけないんだろうなぁと思います。今は否認したい気持ちを受け入れて、次の段階に進めるようになるのを待つのがいいんだろうなぁと思います。

などと勝手に推量してますが、これでいいのかな…

今日もほぼ休憩

ありがたいことに、できることが質量ともに日に日に増えていってます。

以前は、今日はあれもできた、これもできたと嬉しくて、記録することに喜びを感じてました。ところが最近は、あれこれちょこちょことできるようになってきたので、ひとつひとつを記録するのが面倒になってきています。

今日も本当は色々とやったように思いますが、今となっては記録するほどのことは特にありませんし、実はひとつひとつの作業内容は覚えてないので、とりあえず「ほぼ休憩」ということにしています。あれこれできるようになったことに対する感謝の気持ちが足りてないのかも…

ここまで回復したら、日々の作業内容を記録するよりも、天候や季節の移り変わりを記録した方が、あとあと読み返した時に楽しいかもしれません。サザエさんのテーマ曲みたいで。

10年前に購入した液晶ディスプレイを手放すことにしました

10年くらい前に購入したものの、ほとんど使う機会のなかった古い液晶ディスプレーが、長らく箱の中で眠ってました。あまりにもったいないので、なんとか活用できないものかと思って、今年の7月頃に iMac につないでみました。

しかし、iMac のディスプレーとの解像度の差があまりに大きく、継続的に使う気になれませんでした。このままでは部屋の飾りにしかならないので、手放すことにしました。

古い液晶ディスプレーを片付けたところ、机の上が少し広くなりました。お蔭で心も広々。少し寂しい気持ちもありますが、長い目で見ればきっとよい決断だったと思います。

心配性の心

世の中には時々、心配性の方がいらっしゃいます。私はイマイチその気持ちがわからなくて、いつも申し訳ないことをしております。そこで今日は、心配性な人たちの言動を色々と思い出してみました。

それでちょっと思ったのですが、もしかしたら心配性な人たちは、身近な人たちがダメ人間・ドジ人間に見えて仕方がなかったりするのでしょうか。そして、「この人はきっと、○○してるに違いない、△△してないに違いない」などと空想して、ソワソワしてしまうのでしょうか。さらに、その空想こそが真実だと信じて、「あー、こんなことをそのまま言ったら、あの人を傷つけてしまうだろうなぁ」などと気を使って、間接的に示唆しようとするのでしょうか。しかし、空想に過ぎないことを間接的に伝えようとしても、相手には気持ちは伝わらず、明後日な答えしか返ってきません。そこで、ますます空想を膨らませて、ますます心配してしまうのでしょうか。

さらにもしかしたら、心配性の大元には、自己否定の気持ちがあるのでしょうか。「自分はダメ人間・ドジ人間だけど、こんななに頑張ってる。なのにあの人は全然頑張ってない、に違いない。」などと空想して、ソワソワしたり、イライラしたりしてしまうのでしょうか。そして、そのソワソワとイライラが相手に伝わったりするのでしょうか。そんな状態が長く長く続いてしまうのでしょうか。

また、自己否定の気持ちが強くて、身近な人たちがダメ人間・ドジ人間に見えてしまうのでしょうか。逆に縁もゆかりもない、ただ偉そうにしているだけの人たちが、頼り甲斐のある立派な人物に見えてしまうのでしょうか。

そんな風に理解すると、心配性の方々の言動と印象がなんとなく説明できるような気がします。当たっているかどうかは分かりませんが…

電気座布団と電気湯たんぽ

電気座布団を買いました。

椅子の座面に敷いて、その上で胡座をかくと、お尻から太腿の付け根あたりまでと、足首から先を温めてくれます(電気座布団に接触している部分です)。血液は全身を循環しているので、下半身が温まると徐々に全身が温まってきます。

温まり具合の微調整は、電気座布団との接触面積の微調整で行います。経験的には、背筋を伸ばすと接触面積が小さくなり、猫背になると接触面積が大きくなります。気温が低い時は、上着を羽織って上半身からの放熱を抑えます。寒くなっていくごとに、少しずつ厚着になっていくことと思います。

この電気座布団、実は「ホットマット」という商品名で売られています。本来は椅子の足元に置いて、足の裏から体を温めるための商品です。それを電気座布団に転用しています。発熱温度は強弱2段階で調整できます(強で30Wとのことです)。

なお、内部の電熱線が折れないよう、床など平たくて固いところでしか使ってはいけないそうです。幸い私が愛用している椅子の座面は平たくて固めなので、電気座布団として安心して利用できます。

床に座るときも電気座布団として利用しています。


電気で温める湯たんぽを買いました。

水が入った袋に電熱器がついていて、電気で温めて使う湯たんぽです。火を使う必要がなく、水を入れ替える必要もないので、私でも寒い季節に安心して使えそうです。

水は約1.5リットル入っていて、強弱2段階(40度か60度)に温められるそうです。定期的に温め直さないと行けないので、ふたつあった方が便利かもしれません。水袋の内部は「弱塩化ナトリウム水溶液」が入っているそうです(食塩水ですね)。


これからの季節は、電気座布団の上に胡座をかいて、電気湯たんぽをだっこして過ごそうと思っています。これで快適に過ごせますように。

macOS のアップグレード

今日は macOS を最新版にアップグレードしました。いつもはリリースから3ヶ月なり半年なり待ってからアップグレードするのですが、今回はなぜだか、なんとなく即日でアップグレードしてしまいました。

MacBook はストレージ容量不足で、使わないアプリをいくつか削除する必要がありました。お陰でストレージの空き容量が増えたので、今後の作業が楽になると思います。

MacBook のストレージ容量不足を解消する際に、下記資料が参考になりました。

今日から使い始めた macOS Big Sur (macOS 11) では、起動音をはじめ、効果音が変わったように思います。


〔追記 2020-11-18〕

アップグレード後、multipass が起動できなくなってました。

とりあえず、homebrew で uninstall, install すれば起動するようになりました。幸い、仮想環境データも残ってました。


〔追記 2020-11-26〕

アップグレード後、VirtualBox が利用できなくなりました。

下記チケットによると、開発元が対応するまでは利用できない模様です。

また、下記に詳しい情報が掲載されていました。


〔追記 2020-11-28〕

Xcode Command Line Tools のアップグレードを忘れてました。

コマンド「xcode-select --install」ではアップグレードできませんでした。

Apple Developer からダウンロード&インストールする必要がありました。