(1)季節感
春夏秋冬の季節感は、地域や時代によって、あるいは人によって、大きく異なるように思います。
例えば私の感覚では、春は花が咲き乱れる温かい時期で、夏は草木が青々として暑さが厳しい時期、秋は木々の葉が少しずつ元気をなくしていく涼しい時期で、冬は木々が葉を落として寒さが厳しい時期というイメージがあります。
私のような感覚を持つと、春から夏にかけての中間的な時期は春でも夏でもありません。特に梅雨は分類の難しい時期です。
同様に、夏から秋にかけての中間的な時期も、秋から冬にかけての中間的な時期も、冬から春にかけての中間的な時期も、春夏秋冬には属さない時期となります。
仮に中間的な時期に名前を与えると、一年は四季ではなく、八季になってしまいます(笑)
(2)四季
一年を八季と数えるのではなく、四季と数えるためには、一年を厳密に四つに区切る必要があります。
日本の伝統では、一年を厳密に四つに区切る方法はふたつあったようです。
ひとつは、立春〜立夏前日を春、立夏〜立秋前日を夏、立秋〜立冬前日を秋、立冬〜立春前日を冬、と区切る方法です。
もうひとつは、旧暦の1月〜3月を春、4月〜6月を夏、7月〜9月を秋、10月〜12月を冬、と区切る方法です。
現代の日本にも、一年を厳密に四つに区切る方法があるそうです。気象庁は、新暦の3月〜5月を春、6月〜8月を夏、9月〜11月を秋、12月〜2月を冬、と区切るそうです。
いずれの方法も、一年をほぼ四等分しています。
この分類に従うと、今日(立春の翌日、旧暦12月26日、新暦2月5日)の季節は…、立春を過ぎたので春、旧暦では12月なので冬、新暦では2月なので冬、となります。(僭越ながら、私の感覚でも冬です)
(3)細分化
一年を厳密に四つに区切る代わりに、初春・仲春・晩春のように季節を細分化(三等分)する表現があります。細分化した結果を十二季と言うことはなく、やっぱり四季と言うようです。
一年を細分化する方法には、四季・八節・十二ヶ月・二十四節気・七十二候などがあるようです。そして、目的に応じて使い分けられてきたようです。
このように考えると、四季は一年を大きく四つに区切るためのスタンダードな方法だということがわかります。そして、より細かく分類したいときは、他の分類方法を使えばよいということもわかります。
(4)現代人と古代人
それでも四季の区切り方として、別の方法があったのではないかという気持ちは残ります。例えば、春分〜夏至前日を春、夏至〜秋分前日を夏、秋分〜冬至前日を秋、冬至〜春分前日を冬、とする方法です。
この気持ちの違いは、もしかしたら、古代の人たちと現代人の季節感の違いを表しているのかもしれません。すなわち、現代人は大自然の現状から季節感を感じるのに対して、古代人は大自然の変化から季節感を感じていたのかもしれません。(言い換えると、成果に注目するか、過程に注目するかという違いがあるのかもしれません)