法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

高天原の物語を山里の物語に翻案できるかな

昔々、太古の昔のこと。天界の楽園・高天原で暮らす姉・アマテラスに会いたくて、地上界で暮らす弟・スサノオが遥々訪ねて行ったそうです。アマテラスは、最初は高天原を奪いに来たのではないかと疑ったものの、「誓約(うけい)」を経てスサノオを信頼するようになりました。ところが、スサノオ高天原の田畑を荒らしたり、死骸を家に放り込んだりなど乱暴狼藉を働いたので、ショックを受けたアマテラスは岩戸に引き籠もってしまいました。高天原の神々は相談して、工夫を凝らしてアマテラスに復帰してもらい、代わりにスサノオに厳罰を処した上で追い返してしまいました。そんな悲劇が神話として今日まで伝えられています。

このお話を子どもの頃に聞いたときは、スサノオの乱暴狼藉がどれだけとんでもないことなのか、ピンと来ませんでした。しかし大人になって考えてみると、農業を営む人たちにとっては、田畑を荒らされたり、死骸を放置されたりすることは、暮らしの基盤の崩壊につながる大変な事態ではないかと思います。

これは喩えるなら、苦労して整備した田畑をイノシシにボコボコに荒らされたような、あるいは手塩にかけて育てた野菜をサルにすっかり奪われたような、はたまた事故死した死骸が民家前に転がっているような、そんな悲惨な事態が続くようなものではないかと思います。

こんな風に考えてみると、天界を舞台としたアマテラスとスサノオの物語を、山里を舞台とした物語に翻案することができそうな気がしてまいります。


例えば、高天原で暮らすアマテラスをスサノオが訪ねる代わりに、奥山から人里に鳥獣の群れがやってきた物語を考えてみます。

この物語でも、鳥獣は悪さをするつもりは一つもありません。道祖神を前に「誓約(うけい)」をして、邪心のないことを公明正大に証明します。

人里に入ることを許された鳥獣は、奥山のしきたりに従って礼儀正しく暮らします。そのしきたりには、美味しそうな実や葉を見つけると食べられるうちに食べたり、お腹が空くと虫がいそうな土を掘り返したり、時にはお礼にと獲物を届けたりなど、奥山の自然環境を前提としたものがたくさんありました。

ところが、それは人里のしきたりに大きく反することでした。人里の住人から見ると、鳥獣は深刻な問題(いわゆる獣害)を次々と引き起こしてくれる、迷惑極まりない存在でしかありませんでした。このままでは暮らしが成り立たなくなるからと、最終的には鳥獣を追い返すことになりました。

ここまでは、人里の神様(アマテラスの翻案)も、奥山の神様(スサノオの翻案)も、お互いにまったく邪心を持ち合わせていないにも関わらず、それどころか同じいのちを持つ存在として協力しながら暮らしていきたいにも関わらず、残念ながら生きるルールが違うために共存できなかった悲しい物語です。

追い出された鳥獣は奥山に戻って礼儀正しく暮らします。様々な動植物の働きで奥山の自然の豊かさが維持されれば、強力な保水能力を発揮して、下流の洪水や旱魃を防いでくれます。また、流域や海にミネラルや栄養分を供給してくれます。奥山の神様のお蔭で、人里の神様は豊かな自然の恵みを受けることができるのです。(ここはヤマタノオロチを退治して宝剣をアマテラスに捧げる物語の翻案です)

残念ながら人里の神様と奥山の神様は同じ場所で暮らすことはできませんでした。しかし幸にして、棲み分けることはできました。そんなお話を戯曲に書けると面白いかな…


〔追記〕この物語は、農耕民族と狩猟民族の悲劇として書くこともできそうです。

人間同士の方がより緻密なストーリーに描けそうなので、文筆力のある方にはこちらの方がお勧めです。