法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

虚と素

今日は作文の日でした。記録のため、その一部を抜粋しておきます。


(1)更生

更生は私もとても重要だと思います。とってもとっても重要だと思います。

(以下は私の想像です)

しかし、更生の機会と期待を与えただけでは、本人は戸惑うだけではないかと思います。それだけで立ち直れるようであれば、更生が必要な状況には陥らないと思うからです。おそらく、更生のプロフェッショナルでも、担当している一人一人の更生に苦心を重ねながら支援していることと思います。ましてやアマチュアが仮に二人三脚で取り組んだとしても、相当な苦心を重ねる必要があるのではないかと思います。いわんや見守るだけをや…

おそらく、更生が必要な状態にある人は、心の奥底にたくさんの地雷を抱えているのではないかと思います。そして、なにか刺激を受けるたびに、地雷が破裂して自分でも思いもしない言動を取ってしまうことがあるのではないかと思います。そのような状態の人に、仮に道徳だけを説いても、本人は苦しむだけではないかと思います。自分にも見えない地雷をどうやって避けるか、さらには地雷をどうやって取り除いていくか、それを手助けできる人が必要ではないかと思います。


(2)期待

仮に周囲の期待が高すぎて、本人なりの努力ではどうしようもないときは、かなり無理をせざるを得なくなると思います。そして、期待に応えているふりをする「表の顔」と、辻褄合わせをする「裏の顔」の二つの顔を持たざるを得なくなるのではないかと思います。

「表の顔」しか知らない人から見ると、よく頑張っている人に見えて応援したくなるのではないかと思います。しかし「裏の顔」しか知らない人から見ると、とんでもない人で「誰かなんとかしてくれ」と思わざるを得なくなるのではないかと思います。

一旦そうなってしまうと、その状態から抜け出せなくなるのではないかと思います。

そして、強い立場の人たちからは応援されて、弱い立場の人たちからは敬遠される人になってしまうのではないかと思います。


(3)虚勢

これも私の考えですが、そのような状態になってしまうのは、世間の期待に応えようとするからではないかと思います。

無理に期待に応えようとすると、自分を偽って虚勢を張って生きていかなくてはならなくなります。虚勢を張るためには、辻褄合わせが必要になって周囲に迷惑をかけざるを得なくなるのではないかと思います。

そうではなくて、素の自分のままでいいんだよ、素の自分のままで生きていけばよいんだよ。そんな風に思えるようになったら、自分を偽って虚勢を張る必要がなくなって、辻褄合わせをする必要もなくなって、本人にとっても、周囲の人にとっても、随分と楽になるのではないかと思います。

ある意味で、虚勢を張ることをよしとする文化の犠牲者ではないかと思います。


(4)素の自分

素の自分に戻るためには、自分を偽るのをやめて、本当に好きなことに真摯に取り組むとよいのではないかと思います。本当に好きなことに真剣に取り組んでいるうちに、本当の自分を思い出すことができると思うからです。

ただし、自分を偽り続けてきた人がいきなり「本当に好きなこと」を見つけるのは、簡単なことではありません。手探りであれこれ試しながら、時間をかけて見つけていくしかないと思います。(本当は「見つける」のではなくて「思い出す」のだと思います)

一旦、本当に好きなことを見つけて、本当の自分も思い出すことができたなら、あとはひとりでに更生していくことと思います。

そんな風に思っています。(以上、私の想像でした)