法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

自分基準で暮らす

私はカリカリにチューンしたポンコツ・マシンのような状態にあるようです。一人でマイペースに過ごしているときは、全身のセンサーからの信号を適切に処理して最高にチューンした状態を保つことができるので、プログラミングやチャリ散歩ができてしまいます。しかしうっかり最高チューンの状態から外れると、調子が急激に落ちたり、思考作業や肉体作業が思うように進まなくなったりします。

また、集中力の継続時間にも限界があるので、頻繁に休憩時間が必要です。休憩中はできるだけ気を抜いているので、どうしてもポカが多くなります。「○○をしよう!」と思って立ち上がっても、その瞬間に記憶が飛んで、全然違う△△をしようとすることがよくあるようです。あるいは、慣れた作業でも手順を間違えて失敗することもあります。

幸いにして一人暮らしなので、体調が急激に落ちても、あるいはまったくありえないミスをしても、何の問題もありません。一人でゆっくり対処すればよいからです。問題視したり心配したりする人がいないので、マイペースで暮らすことができています。健康な人の基準ではなく、ケアする人の基準でもなく、私自身の基準で暮らすことができるのは、とてもありがたいことだと思います。

しかしもしかしたら、世の中には自分自身の基準で暮らすことに不安を感じる人がいるかもしれません。代わりに、与えられた基準で暮らすことに安心感を見いだしているのかもしれません。私から見ると何だか不思議な感じがしますが、世の中の人から見ると私の方が不思議な人に見えているかもしれません… (学校の勉強の延長で「正解」は与えられるものと思っているのかな…)