今日も「昔取った杵柄」くんの遠縁あたりの作業をしました。
私は「視野狭窄」ならぬ「思野狭窄」なので、ちょっと複雑になってくると何が何やらわからなくなってしまいます。冬場はただでさえ「思野」が狭いところに、疲労でさらに「思野」が狭くなって、心配事も重なって、何をどうしたものか考えられなくなってしまってました。
そこで、いずれはしなくてはいけない作業に取り掛かることにしました。その作業も今日で一区切りついたので、一度に考えなくてはいけないことがひとつ減りました。そうやって、ひとつひとつ片付けていくうちに、考えるべきことが「思野」に収まるようになってくれるのではないかと期待しています。
また、その時々で考えるべきこと以外を一旦忘れることも、ただでさえ狭い「思野」を有効利用するために重要なようです。
思考能力のリハビリを通して、「思野」が狭くても生きていけるように、対策を身につけたいと思っています。