法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

勢いのある人は大樹の御使い

(1)勢い

人物を選ぶ視点は人それぞれだと思います。例えば、「何をやってくれるか(中身)」を重視する人もいれば、「何かをやってくれそう(勢い)」を重視する人もいると思います。

また、日本では見えない序列が重視されます。一旦決まった序列を上がっていくことは簡単なことではありません。中身が充実しているだけでは、なかなか注目されません。しかし勢いのある人は、トントンと上がっていくことができます。

勢いのある人は、日本では特別視されるのかもしれません。「寄らば大樹の陰」という言葉があります。いつの日か大樹へと育つことが期待されているのかもしれません。


(2)まつりごと

かつて政治は「まつりごと」と呼ばれていたそうです。古い時代に祭祀と政治が一元化(祭政一致)していた名残だそうです。祭祀というと、厳粛な儀式と、賑やかな直会を思い出します。祭祀を通して「神の見えざる手」が働くようになることが期待されているのかもしれません。

日本の「常識教」では、「寄らば大樹の陰」の大樹が御神木かもしれません。大樹が定めた不文聖典である「常識」を守って、お祭り(儀式と直会)を大切にしていれば、「神の見えざる手」が働いて現世利益を運んでくれると考えられているのかもしれません。

そこで現代のお祭りとして、冠婚葬祭、寺社参拝、季節の行事や宴会などが大切にされているのかもしれません。勢いのある人は、大樹の御使いとしての働きが期待されているのかもしれません。(日本の「常識教」は、様々な宗教、倫理、哲学、科学などが習合したものだと思います)

しかしながら、「常識教」は本当の御神木を見失っているのではないかと思います。