(1)カーナビ
カーナビを持ってなかった頃、クルマで遠出するときは道路地図帳は必須でした。
事前にルートを調べて、どの道路を通ってどの交差点で曲がるか、きっちり決めてから出発してました。運転中は助手席に道路地図帳を広げて、信号待ちの時間を利用して現在位置を確認してました。標識や景色など、車外の情報をフル活用して、現在位置を確認しながら走ってました。あの頃が一番、車外の景色に注意を払っていたように思います。
その後、2〜3世代型落ちした安いカーナビを入手しました。
クルマで遠出するときは、やっぱり道路地図帳で事前にルートを調べてました。そしてカーナビを道路地図帳代わりに利用してました。カーナビの画面を見るだけで現在位置を確認できるので、車外の景色にあまり注意を払わなくなりました。経路案内機能は利用しませんでした。
あるとき、最新の普及型カーナビを利用する機会がありました。
目的地を指定する方法しか教えてもらわなかったので、経路案内機能を初めて利用しました。運転中にあれこれ話しかけてくるし、画面上には地図以外の情報がたくさん表示されるし、地図は小さくて進行方向が上になってるしで、使い勝手がいつもと大きく異なりました。私が必要とする情報をなかなか見つけられない代わりに、不必要な情報を大量に提供してくれるので、情報に溺れそうになりました。安全確認しながら経路案内の指示に従うだけで精一杯で、車外の景色に注意を払う余裕はありませんでした。
カーナビはどんどん高機能化しているようですが、はたして運転手の心を豊かにしているのか、それとも運転手の心を忙しくしているのか、私にはよくわかりませんでした。
(2)鳥の視点、虫の視点
建物を描くとき、「鳥の視点」で上空から斜めに見下ろした形式のものを鳥瞰図、「虫の視点」で下から見上げた形式のものを虫瞰図というそうです。鳥瞰図は全体を見渡しやすく、虫瞰図は部分を詳細化しやすい特徴があるのではないかと思います。
前述のカーナビの使い方を分類すると、道路地図代わりに使う場合は「鳥の視点」、経路案内を利用する場合は「虫の視点」と言うことができるのではないかと思います。
「鳥の視点」の使い方の場合は、心の中で道路網全体を鳥の視点で見下ろして、予定経路と現在位置を把握します。カーナビが表示する道路地図は、現在位置を把握するための重要なツールです。必要とする情報が少ないので、追加情報をいくらでも受け入れる余裕があります。そのため車外の景色から街や地域について様々な情報を得る余裕があります。
「虫の視点」の使い方の場合は、心の中には現在位置からの眺めしかありません。そこでカーナビに、次にどう走るべきかの情報を教えてもらいます。情報のシャワーを浴びながら走るので、追加情報を受け入れる余裕はほとんどありません。そのため車外の景色から安全確認以上の情報を得る余裕はありません。
私の体験からは、このような違いがあるのではないかと思います。しかし、カーナビの経路案内機能を使い慣れている人は、まったく別の感想を抱いているかもしれません。
(3)日々の暮らし
日々の暮らしの中での情報の受け取り方にも、「鳥の視点」と「虫の視点」の違いがあるのではないかと思います。
日々の暮らしを「鳥の視点」で俯瞰して見ている人は、全体の構造が見えているでしょうから、新たな情報を受け取るたびに、適切な引き出しに整理整頓しながら収納することができるのではないかと思います。そのため、常に見通しがよいのではないかと思います。
日々の暮らしを「虫の視点」で見ている人は、身の回りのことについては自分で直接確かめたい一方で、縁遠いことには興味がないかもしれません。
おおよそ、このような違いがあるのではないかと思います。(私は「虫の視点」がよくわからないので、そっけない記述ですみません…)
(4)日本語と英語
世界の言語を見渡してみると、「鳥の視点」が得意な言語と、「虫の視点」が得意な言語があるそうです。
例えば、日本語は「虫の視点」が得意で、英語は「鳥の視点」が得意だそうです。そのため、日本語話者は「虫の視点」で世の中を見る傾向があり、英語話者は「鳥の視点」で世の中を見る傾向があるそうです。
(カナダ在住の日本語学者である金谷武洋さんの著書を何冊か読んだことがあるのですが、その中のどれかにこのような趣旨のことが書かれてました。欧州の言語の歴史を調べると、民族性の変化が文法を変えた可能性があるそうです。)
※有名な例を挙げると、川端康成の小説『雪国』の冒頭部分「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、英訳では「The train came out of the long tunnel into the snow country」となるそうです。日本語では主人公の視点で書かれ、英語には鳥の視点で訳されています。
(5)文化圏と視点
このように考えてみると、「虫の視点」文化圏である日本で、カーナビの経路案内機能が好まれるのは当たり前のことなのかもしれません。(私はここでも例外なのかもしれません…)
「鳥の視点」文化圏の国々では、カーナビはどのように使われているのか、興味があります。
もしかしたら、「虫の視点」文化圏と「鳥の視点」文化圏では、常識の構造や特性が異なるかもしれません。人間関係も感性も異なるかもしれません。調べていくと面白そうです。