法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「○○してもよいですよ」は許可か指示か

(1)運動会と体育祭

運動会・体育祭の季節となったようです。

とある学校の近くを通ると、練習の声が聞こえてきました。油断してたので、最初は先生の声が外国語のように聞こえました。普段は脳の回転力を必要最小限に落としているからです。

脳の回転力を少し上げてみたものの、十分には聞き取れない部分がありました。しかし、何の練習をしているのかわからなかったので、聞き取れなかった部分の推測ができませんでした。文法上は何かの許可をしているようでしたが、状況的に、補足的な指示だったのではないかと思います。と言うわけで、私の聞き取り能力では、学校の授業についていけなさそうでした…


(2)許可か命令か

日本語の「○○してもよいですよ」は文法上は許可の表現ですが、文脈によっては指示・依頼・説得などの意図を伝えるために用いられることがあるように思います。話し手が考える「あるべき姿」を示すことで、聞き手から忖度を引き出すことを目的とした表現ではないかと思います。

そのため、「○○してもよいですよ」と言われたときに、「○○したくないから、しなくてもいいんだな」と判断すると、不興を買うことが多いように思います。

日本語では、文法上は許可や希望の形でも、実際には指示・命令だったりすることがよくあるので、私にはなかなか難しいです。日本語検定の初級で不合格になりそうです…