法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「ねばならない」スイッチ

(1)オンとオフ

仕事をしているときを「オン」、プライベートの時間を「オフ」と表現することがあるようです。心のどこかにスイッチがあって、始業時にオン、終業時にオフすることをイメージした表現ではないかと思います。どんなスイッチをオン・オフしているのか、以前から興味がありました。

昨夜ふと思ったのですが、「ねばならない」スイッチと関係しているかもしれません。


(2)義務感

仕事時間中はたくさんの「○○せねばならない」に囲まれます。そこで集中力を高めて、限られた時間の中でテキパキと業務をこなしていかないといけません。たくさんの「ねばならない」と格闘するために、仕事用の「ねばならない」スイッチをオンにするのではないかと思います。

仕事を終えて家路につくと、主婦・主夫へと気持ちを切り替えなくてはいけない人は多いのではないかと思います。そして改めて、たくさんの「○○せねばならない」に囲まれるのではないかと思います。たくさんの「ねばならない」と格闘するために、家事用の「ねばならない」スイッチをオンにするのではないかと思います。

副業をしている人、社会活動をしている人、業界や地域の役職についている人など、場面が変わるたびに新たな「ねばならない」スイッチをオンにする必要のある人は多いのではないかと思います。

たくさんの「ねばならない」スイッチに囲まれている人が、すべての「ねばならない」スイッチをオフにできる時間、それがオフの時間ではないかと思います。本当にくつろげる時間なんだろうと思います。


(3)趣味

その一方で、仕事が趣味、という人もいるのではないかと思います。仕事が楽しくて仕方がないので、朝から晩まで休日なしで働きたくて仕方がない。仕事に打ち込んでいるときが一番調子がよくて、たまの休日は気疲れしてしまう。そんな人たちにとっては、仕事上の「○○せねばならない」は楽しみのひとつなので、「ねばならない」スイッチは無用です。

あるいは、家事が趣味、という人もいるかもしれません。家事が楽しくて仕方がないので、疲れを感じることがない。日々工夫を重ねて、丹精込めて家事をすることに喜びを感じている。そのような人たちにとっては、家事用の「ねばならない」スイッチは無用です。

副業をしている人、社会活動をしている人、業界や地域の役職についている人などの中にも、同様に「ねばならない」スイッチが無用な人はいるかもしれません。

大好きなことについては「ねばならない」スイッチは無用でも、あまり好きでないことについては「ねばならない」スイッチが必要かもしれません。「ねばならない」スイッチがまったくない人はほとんどいないのではないかと思います。だからこそ、大好きなことに打ち込める時間を大切にしたいのではないかと思います。


(4)自律と自発

上記において、「ねばならない」スイッチをオン・オフする人は「自律的」な人(=自らを律する人)で、「ねばならない」スイッチが無用な人は「自発的」な人と表現できるかもしれません。

自律的な人と自発的な人では、モチベーションの高め方が異なっているのではないかと思います。

自律的な人は、「ねばならない」スイッチを刺激すると気合が入るのではないかと思います。例えば、重要な仕事を依頼されたり、お礼を伝えられたり、などです。あるいは、厳しい態度で命令されたり、ご褒美をほのめかされたり、もそうです。(イソップ寓話『北風と太陽』を思い出す例です)

それに対して自発的な人は、興味を持ってもらうとエンジンが全開になるのではないかと思います。例えば、その人の興味の延長線上に上手に位置付けたり、話者の興味が伝播するように話したり、などです。

言い換えると、動機が思いやりと恐怖心にあるのが自律的な人、内面から湧き上がるのが自発的な人、と言えるかもしれません。あるいは、動機が外にあるのが自律的な人、内にあるのが自発的な人、とも言えるかもしれません。また、両方を兼ね備えた人もいるかもしれません。


(5)逆効果

万一、両者に対するモチベーションの高め方を誤ると、逆効果になるかもしれません。

例えば、自律的な人の興味を刺激しても、仕事の話とは思ってもらえないかもしれません。あるいは、自発的な人に威圧的な態度を取ると、意欲を失って仕事の効率が著しく落ちるかもしれません。

おそらく自律的な人は、自律的な人のモチベーションを高めることが得意であると同時に、自発的な人のモチベーションを落とすことも得意ではないかと思います。下手をすると、自律的な人が自発的な人のモチベーションを高めようとすればするほど、口先だけの懐柔策を繰り返されているように感じられて不信感に陥ったり、自発的な人には脅迫されているように感じられて強い恐怖心と大きなトラウマを残すことになったりするかもしれません。

同様に自発的な人は、自発的な人のモチベーションを高めることが得意であると同時に、自律的な人のモチベーションを落とすことも得意ではないかと思います。下手をすると、自発的な人が自律的な人のモチベーションを高めようとすればするほど、自律的な人には時間の無駄のように感じられて無視を決め込まれたり、仕事をやる気のない人と感じられて信用を失ったりするかもしれません。

そのため、自律的な人と自発的な人が一緒に仕事をするときは、相当な注意が必要ではないかと思います。


(6)組織文化

もしかしたら、組織文化にも自律的な人が働きやすい組織文化と、自発的な人が働きやすい組織文化があるかもしれません。その場合、所属組織を選び間違えると、本人にとっても組織にとっても不幸な事態が発生しやすいのではないかと思います。

組織文化は創業者が創り、歴代の経営者が育てるものではないかと思います。したがって、創業者や経営陣の組織運営に対する考え方との相性が第一に重要かもしれません。ただし、構成員の個人差は大きいと思うので、組織との相性はよくても、馬が合わない人はいるのではないかと思います。逆に、組織との相性は悪くても、馬の合う人はいるのではないかと思います。


(7)燃える

ところで私は、自発的な側面が非常に強く、自律的な側面が非常に弱い人です。

すなわち、自分の興味に従って活動し、興味が尽きるまで活動します。そのため、何をするときでも、まず興味を持つことから始めます(傍目には無駄な時間に見えるかもしれません)。興味が燃え盛っているうちは熱心に活動します。深みのあるテーマであれば、興味が燃え尽きる心配はありません。しかし、猛烈な冷や水を浴びせられると、興味を失って活動が停止することがあります。

逆に、義務感で継続的な活動ができるような立派な人ではありません。それどころか、「ねばならない」スイッチを威圧的に刺激されると誤動作しかねない人です。おそらく、心の大きな大きな傷が強く刺激されてしまうのだと思います。心の中の「ねばならない」スイッチが壊れているからこそ、その代替として自発的な側面が発達したのかもしれません。


(8)想定内外

心の中は人それぞれなので、常識の想定内の人もいれば、想定外の人もいると思います。

また、想定外の人とも上手にコミュニケーションできる人もいれば、苦手な人もいると思います。

想定内の人と想定外の人を上手につなぐ仕組みがあるとよいなと思います。また、想定外の人と想定外の人を上手につなぐ仕組みもあるとよいなと思います。