法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

アタマ派と想像力と社会秩序

(1)アタマとハラ

世の中にはアタマで考えることを大切にする人と、ハラに染み入る(腑に落ちる)ことを大切にする人がいるように思います。

植物の根の張り具合で喩えるなら、アタマの中だけで考えたことは根が浅いのでちょっとした風で倒れそうになりますが、腑に落ちたことは根がしっかり張っているので台風が来ても倒れることはありません。

アタマ派の人は、アタマの中に根が浅いものが多いので、風が吹くとザワザワして不安になります。しかし、周りの人たちも同じようにザワザワしているので、励まし合って生きていけます。中には、根が浅いものばかりの人もいて、ちょっとした風でザワザワしてとても不安になるようです。心配性な人は、周りの人に助けてもらいながら生きていけるのではないかと思います。

一方、ハラ派の人は、根がしっかり張っているので、台風が来ても平気です。しかし、世間にはアタマ派の人の方が多いので、世間から浮いてしまいます。時には弾き出されることもあるかもしれません。


(2)守備

アタマ派の人たちは、風が吹くと不安になります。そこで防風林が必要になります。そのとき活躍するのが「想像力」ではないかと思います。

想定外の事態が発生すると、心の中を嵐が吹き荒れるので、想像力を働かせて事態が想定内であるかのように書き換えます。時には身の回りの人たちと相談して書き換えます。例:「本当はきっとこうに違いない」「騙されないぞ!」

自分たちでは書き換えられないときは、説得力を持って書き換えてくれる人が現れるのを待ちます。あるいは状況が変わるのを待ちます。

それまでは不安で仕方がありません。不安を煽る情報に敏感になって、ますます不安に苛まれるのではないかと思います。(喩えるなら、肉体的苦痛が気になり始めると、ますます苦痛が大きく感じられるのと同じような状態かもしれません)

不安を抑えることが最優先なので、事実よりも想像が優先されるのではないかと思います。


(3)予防

アタマ派の人たちには、風が吹かないように予防することも大切です。ここでも「想像力」が活躍するのではないかと思います。

例えば、初めて会った人がどのような人か想定できないと、すぐに不安になってしまいます。そこで表面的な情報と印象からすぐさま想像を膨らませて、「この人はこんな人」とキャラ設定します。

また、コミュニティに新参者があったとき、コミュニティにおけるキャラ設定を想定できないと、すぐに不安になってしまいます。そこで表面的な情報と印象からすぐさま想像を膨らませて、「この人はこんな人」とキャラ設定します。

どちらの場合も、キャラ設定された人は、それに則った振る舞いが期待されるのではないかと思います。そのため、空気を読める人の好感度は高いのではないかと思います。


(4)攻め

アタマ派の人たちには、好ましい状況を作ることも大切です。ここでも「想像力」を働かせるのではないかと思います。

例えば、AさんがBさんの話を聞いて、無意識のうちに想像力を働かせて、自分(たち)に都合のよいように話を書き換えます。そして仲間内に広めます。有力者にも広めます。みんなが納得したら、AさんはBさんと話をします。有力者を伴うこともあるようです。Aさんは曖昧な表現でBさんの了承を取り付けます。

それからAさんはグイグイとBさんを押してきます。この先どこまで押し切られるかは、いつBさんが仕組みに気付けるかどうかと、気付いた後の抵抗次第です。ただし、Aさんに従わないとBさんはコミュニティから弾き出されることになるかもしれません。


(5)縁の下の力持ち

アタマ派の人たちは、こんな風にして人間観・世界観を守っているのではないかと思います。

いずれの例でも、想像力が重要な役割を演じているように思います。しかし、無意識のうちに働いているので、想像力は「縁の下の力持ち」な状態です。本人たちは、まさか自分が都合よく想像力を働かせているとは思ってもいないのではないかと思います。

そのため、想像内容の真偽に思いを馳せる機会がなく、回り回って立場の弱い人のところにシワ寄せが集まることが多いのではないかと思います。そして、実際には立場の弱い人たちが「縁の下の力持ち」になって不安が解消されていることが多いのではないかと思います。ところが立場の強い人たちは誰もそのことには気付かないので(気付かない方がお得なので…)、おいしいとこ取りを続けられるのではないかと思います。

すなわち、想像力には立場の強弱を固定化させる働きもあるのではないかと思います。上から下まで想像力を働かせあうことで、日本的な社会秩序を保っているのではないかと思います。だからこそ、想像力を働かせられない人は、社会から弾き出されてしまうのではないかと思います。