法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

煩悩やマインドセットに操られて生きているのではないか?

(1)納得感

随分前に、「納得感」が大切と聞いたことがあります。当初は、どんな話を聞いて納得するかはみんな同じだろうと思ってました。ところが、納得するために求めていることは人によって違うようでした。

例えば、新技術を用いた商品を販売するとします。Aさんは、説明を聞いてデータを見て納得するようでした。Bさんは、権威ある人が推薦していることを知って納得するようでした。Cさんは、開発者の熱意と苦労話を聞いて納得するようでした。Dさんは、利用者の好意的な声を聞いて納得するようでした。Eさんは、販売員の熱意にほだされて納得するようでした。Fさんは、人気商品と聞いて納得するようでした。Gさんは、自分で試用してその効果を見て納得するようでした。

こんな風に、納得するために重視することは人によって大きく異なるようです。


(2)やっぱり!

同様に、一人で考え事をするときも、納得するために重視することは人によって異なるのではないかと思います。例えば、前述の商品購入時と同様に、論理的な説明だったり、権威ある人の太鼓判だったり、誰かの熱意だったり、世間の評判や流行だったり、自分で確かめることだったりするのかもしれません。

しかしときには、「やっぱりそうだ!」という気持ちを大切にすることもあるかもしれません。

心の中にある「こうなってほしい」「こうあるはずだ」という気持ちとマッチすると、スイッチがカチンと入ったかのように、納得するのかもしれません。

その気持ちは、ときには願望であり、ときには不安であり、ときには憤怒であり、ときには損得勘定であったりするのかもしれません。


(3)心の傷

前述の、願望・不安・憤怒・損得などは、これまでに雰囲気などを通して感じたことを思い出して書いたものです。ですから、まったくの誤解や妄想かもしれません。

しかしもしも、当たらずといえども遠からずであるならば、それらは仏教でいうところの三毒(貪・瞋・癡)にあたるように思います。『貪(とん)』は「むさぼり」、『瞋(しん)』は「いかり」、『癡(ち)』は「おろかさ」で、いずれも煩悩(ぼんのう)の代表例だそうです。

ですから、もしも思い当たる節があるようでしたら、そのときは煩悩に操られていたのかもしれません。あるいは煩悩に溺れていたのかもしれません。

煩悩という言葉は手垢が付きすぎているので言い換えると、「心の大きな傷に操られている」状態と言ってもよいかもしれません。本心に従っているつもりでいて、実際には本心から駆け離れたことを選んでいたのかもしれません。

ですから、「やっぱりそうだ!」とスイッチがカチンと入ったときは、もしかしたら煩悩のスイッチが入ったのかもしれません。そのような場合は、一旦深呼吸して気持ちを落ち着けてから、改めて考えた方がよいかもしれません。


(4)場の空気

場の空気も同様で、スイッチがカチンと入ったような状態になっているとしたら、みんなして煩悩に操られている状態にあるのかもしれません。噂話をしているときも、同様なことが起きるかもしれません。

そんなときは、みんなで深呼吸して気持ちを落ち着けると、場の空気が大きく変わるかもしれません。


(5)マインドセット

ところで、アインシュタインは「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない」と言ったそうです。(マインドセットは「思考様式」のような意味だそうです)

視点を変えると、自分の頭で真剣に考えているつもりでも、実際には与えられたマインドセットに操られているにすぎないことを表しているのではないかと思います。したがって、仮にマインドセットを大きく変更したとしても、新たなマインドセットに操られるだけではないかと思います。

また、新たに学ぶマインドセットの取捨選択を手持ちのマインドセットで行っているとしたら、私たちは幼い頃に学んだマインドセットからの直接・間接の影響から、死ぬまで抜け出せないことを意味しているのではないかと思います。まさに「三つ子の魂百まで」なのかもしれません。


(6)真の自由

こんな風に、私たちは自分で考えているつもりでいて、実際には煩悩やマインドセットに操られて生きているのではないかと思います。自由から逃走しているのではなく、最初っから自由なんてないのかもしれません。

私たちは自由意志を謳歌しているつもりでいて、実際には操られているとしたら…、どうすれば本当の自由を得ることができるでしょうか? 真の自由とは、どんな状態でしょうか?


〔追記〕上記のアインシュタインの言葉は、英語では “We cannot solve our problems with the same thinking we used when we created them.” だそうです。どうやら、実際の発言のエッセンスをもとに、一般論として誰かが組み立てた言葉のようです。