法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

現代の「バベルの塔」は放棄されるか

(1)小進化と大進化

一般に研究者は、文献を読み込んだり、調査や実験を繰り返したりすることを通して、人類の進歩に大きく貢献していると考えられています。

しかし、ひとつひとつの分野はあまりに複雑になりすぎて、ひとりひとりが十分に理解することが難しくなっているのではないかと思います。そのため、各分野の既存の定説はおおむね正しいという前提のもとに鵜呑みにして、既存の定説の上に自分の業績を積み重ねていくしかなくなっているのではないかと思います。

本来であれば、過去の成果を偏見なく再評価するだけの余裕が必要だと思います。なぜなら、ある分野が大きく発展していくためには、知見を丁寧に更新していく(小進化)だけでなく、パラダイム変換(大進化)を繰り返す必要があると思うからです。


(2)砂上の楼閣

しかし、予算も人員も時間も限られているなかで成果を出し続けるためには、過去の成果を再評価する余裕のないまま、「慣性の法則」に従って突き進んでいくしかない分野は多いかもしれません。また、巨大企業をスポンサーに持つがゆえに、企業の意向に沿った研究成果しか評価されない分野もあるかもしれません。

その結果、事実と定説の乖離が進んだ分野が多々あるのではないかと思います。残念ながら身内からのチェックはどうしても甘くなるため、代わりに在野の人たちから定説に対して異議が上がることは、珍しいことではないように思います。

近現代史に記録されている公害・薬害・事故・人災等は、御用学者ですら誤りを認めざるを得なかった劣悪な事例のみではないかと思います。これらは問題全体の中では「氷山の一角」にすぎず、関連性を認めることを拒否した(言い逃れできた)事例は山のようにあるのではないかと思います。

これまでに「現代の叡智」として積み上げてきたことは、実際には「砂上の楼閣」にすぎない部分が多いのではないかと思います。そしてこれからも様々な問題を山のように起こしていくのではないかと思います。


(3)資本の意志

本来であれば、あらゆる分野のあらゆる知見は、絶え間なく再評価されるべきだと思います。真剣な再評価は、先人の知見を深く学ぶためのすばらしい機会になると思います。全体を深く理解できた人だけが、それぞれの分野を大きく発展させたり、新しい分野を切り開いたりできるのではないかと思います。

しかし公的な研究予算が限られている現状では、スポンサーと懇意になって、スポンサーの意向に沿った研究成果を出せる人だけが出世できるのかもしれません。それがゆえに、その分野のプラス面が大きく進展するという利点を持つ一方で、内在するマイナス面が「なかったこと」にされてしまうという欠点もあるように思います。

近年では、人間の理解力を遥かに超えてしまったがゆえに、「資本の意志」に従うしかない分野が多々あるように思います。例えば、軍事、医療、土木、化学、農業、情報などなど… 実際にはかなり広範囲に広がっているのではないかと思います。


(4)バベルの塔

旧約聖書「創世記」に登場する「バベルの塔」は、お互いに言葉が通じなくなったがゆえに、建設が放棄されてしまったそうです。

「現代の叡智」建設を眺めてみると、人間の理解力を遥かに超えてしまったがゆえに、分野が違えば言葉が通じず、同じ分野でも立場が違えば言葉が通じず(議論が噛み合わず)という状況になっているように思います。「現代の叡智」建設が放棄される日が近付いていることを示しているのではないかと思います。


(5)太古の叡智

それでは、そのあと人々はどこに向かって進んでいくでしょうか。予想内容は人によって大きく異なることと思います。

私は「太古の叡智」に戻るのではないかと思っています。喩えるなら、アニメ『未来少年コナン』のハイハーバーのような方向性、あるいはアナスタシア・シリーズの「一族の土地」のような方向性です。大自然の法則と人間の潜在能力を存分に活用した暮らしになるのではないかと思います。現代人から見ればファンタジーのような世界かもしれません。私の頭の中が御伽噺で満ちているだけかもしれませんね(笑)