法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

睨むより話し合い

(1)にらみつける

例えば、AさんがBさんを睨みつけているとします。おそらくAさんは、心の中でBさんのことを責めているのだと思います。

このとき、AさんとBさんの間に共通理解があれば、睨みつけるだけで気持ちが通じて、Bさんは行いを改めることと思います。そしてAさんは事細かく口にしなくて済んでホッとすることと思います。

しかし、AさんとBさんの間に共通理解がなければ… Bさんはキョトンとするしかありません。Aさんは怒りに燃えてさらに激しく睨みつけるしかなくなって、事態は膠着してしまうかもしれません。


(2)共通理解

一般論で言えば、悪いとわかっていることを繰り返す人は少ないと思います。仮に繰り返す人がいるとしたら、その人なりの理由があってのことだと思います。あるいは心の弱さがあってのことだと思います。それを睨みつけるだけで解決しようというのは、虫がよすぎると思います。その場で取り繕ったとしても、実際には何も変わらないのではないかと思います。

また共通理解は、強い信頼関係と濃密なコミュニケーションがあってこそ得られるものだと思います。本当に共通理解があれば、睨みつけなくてはいけない事態は滅多にないことだと思います。仮に悪いとわかっていることを繰り返したとしても、その背景はお互いにわかっているはずなので、その場で協力して適切な対策を取ることができるのではないかと思います。

逆に言えば、睨みつけるということは、共通理解が足りないということではないかと思います。睨みつけても人間関係を悪くするだけで、何も解決しないのではないかと思います。


(3)対話する

人様を睨みつける習慣のある人は、「私は何でもわかっている」と思う傾向があるのではないかと思います。そして「あなたも私と同じ気付きを得るべきです、自分で考えなさい」と思って、目で合図を送っているのかもしれません。このとき、責める気持ちが強いので、睨みつけてしまうのではないかと思います。

ところが、世の中に何でもわかってしまう人はいないと思います。何でもわかっていると思っている人は、たいてい勘違いをしているように思います。大きな誤解に基づいて「あなたは間違っている」と思っているので、相手は気付きようがありません。そのため、力関係を利用して忖度を引き出す方向に持っていかざるを得ないのではないかと思います。

ちゃんと話し合えば事情が詳しくわかってベストな方法が見つかるかもしれない状況なのに、強者が弱者に忖度を強要してその場しのぎの方法が取られてしまう。ひょっとしたら最悪な方法が取られてしまうかもしれない。そんなことがあちこちで起きているのではないかと思います。

目で合図を送る(睨みつける)のではなく、丁寧に話しあうことが大切ではないかと思います。