法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

この世は心象の鏡

(1)この世は鏡

この世は自分自身の鏡のようなものだと思います。

例えば、心の中が愛で満ちあふれている人は、誰を見ても愛で満ちあふれている人に見えるのではないかと思います。その気持ちが相手に伝わって、相手の中から愛で満ちあふれている部分を自然に引き出すのではないかと思います。

逆に、自己否定の心が強い人は、誰を見ても否定的な評価を下してしまうのではないかと思います。それが相手に伝わって、相手の中から否定的な部分を引き出してしまうのではないかと思います。

このように、自分自身に対する認識がそのまま周りの人たちに対する評価となり、それが立ち振る舞いを通して相手に伝わって、認識通りの反応を引き出すのではないかと思います。そして常に「やっぱり思った通りの人だ」という結論になるのではないかと思います。

そのような意味で、この世は自分自身の鏡のようなものではないかと思います。


(2)噂話も鏡

そのため、自己否定の心の強い人は誰を見てもダメ人間に見えて、イライラを募らせながら生きていかねばなりません。そして時々、ガス抜きしたくなるようです。噂話はこうして生まれるのではないかと思います。

ですから私は、噂話の内容自体には興味がありません。情報の信頼性がとても低いからです。

しかし、どなたがどのような噂話を好むのかには、多少興味があります。噂話の傾向は、その噂話をする人の心の中を映し出していると思うからです。


(3)心のSOS

自己否定の心の強い人の話を聞いていると、いろんな人がダメ人間とされたり、悪党とされたりします。悪いところしか見えないというよりも、悪いように悪いように想像力を働かせるからではないかと思います。想像力の働かせ方の中に、その人の心の中が映し出されているように思います。

他人を悪く言う人の中には、自分のことを針小棒大にアピールする人もいます。周りの人から褒めてもらわないと心が潰れそうなくらいに、自己評価が低いことを表しているのではないかと思います。(本当に凄い人は自慢話などせず他者を上手に盛り立てますよね)

彼らの話は額面通りに受け取らない方がよいと思います(裏取りは必須です)。それよりも、彼らの心が SOS を発しているという視点が重要だと思います。

彼らはワラにもすがる思いでもがき苦しんでいるので、無防備で近寄ると、彼らの苦しみに巻き込まれて痛い目に合う可能性が高いです。彼らの妄想世界の破壊力は凄まじいものがあるからです。どんな風に接すると彼らの心が救われるのか、残念ながら今の私にはわかりません。